「それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。」(21:7)
トンプソンという学者が、こんなことを言っています。
「人々がイエスを認識し、イエスを信じて従うことを可能にするのは、他の人々の証しである。」
イエス様との出会いの証を誰かが話しているのを聞いて、イエス様を認識するというのがほとんどだと思います。
誰かが、ヨハネのように「主だ」と証することによって、認識することができるということです。
ですから、私たちはイエス様のことを証し続ける必要があります。
ペテロは、ヨハネの証を聞いて、行動を起こしました。
イエス様のそばに行きたいと飛び込んだのです。
私たちができることは、ヨハネのように「主だ」と証するところまでです。
あとは、その人が、イエス様を認識し、イエス様の方へ飛び込むかどうかということです。