葡萄よ、さらば

清々しいスポーツの日の午後、新實伝道師と久美姉と3人で教会の木々の剪定を行いました。

しばらく前からバラの枝にびっしりと白い虫がついていて薬をまいたり悪い枝を切ってみたりと試行錯誤していたのですが効果が見られず、意を決して抜くことにしました。

梅の木もかなり枝が伸びていて、しかもこちらにはまた別の白い虫が飛び回り、久美姉は大量の羽虫に囲まれながら格闘してくださいました。

ベランダまで伸びていた月桂樹にはなんとアシナガバチの巣が。

まだ小さかったので取り除きました。

わたしはずっと弱った葡萄の木を抜いて(葡萄は寿命が15年程度)しまいたいと思ったのですが小山牧師から今年も許可が出ず、剪定だけを行うことに。

ところが剪定中、一本しかない枝を途中からバッサリ切ってしまったのです。

まずい、、、非常にまずい、、、次の日、ラプンツェルの髪のように、切った先の枝はたった一晩で枯れてしまい、結果葡萄の木を抜くことになってしまいました。

この葡萄の木のように、イエスさまに繋がっていないとあっという間にクリスチャンは枯れてしまうことを意識させられました。

(小山晶子牧師夫人)

ホセア書 11:12-12:14

「ヤコブは母の胎で兄のかかとをつかみ、その力で神と争った。」(12:3)

「その力」とは、「彼の力」、「人間的な力」という意味です。

新共同訳では、

「力を尽くして神と争った。」

聖書協会共同訳では、

「力の限り神と闘った」

と訳していますが、

「一生懸命あがいてみた」

ということだと思います。

岩波訳では、驚くことに、

「その富をもって」

と訳していますが、

「裕福になった時」

という意味だと思われます。

口語訳では、

「成人したとき」

と訳してますが、成長して、裕福になって、

「神なしでも自分でできる」

と思い上がっていた時に、神と格闘したという意味にもとることができます。

いずれにせよ、共通点は、

「自分の力に依存するか、神の存在を認めるか」

ということです。

ヤコブの問題は、

「神に頼らなくても、自分で何でもできる」

ということでした。

彼の生き方はまさに自分勝手、自分中心でした。

「自分は神が必要な存在だ」

と認められるかどうかが、私たちの人生を左右します。

ああ、すがすがしい

秋ですね。

長い長い夏がようやく終わったと感じられる気候になりました。

この夏は台所に立つのが辛く感じるくらいでしたが、最近はちょっとお菓子でも焼こうかしらという気持ちになってきました。

アニーがお菓子の材料をいろいろおいていってくれたので、それを使ってチョコバナナケーキを焼いてみました。

おいしくできたのでちょっとづつ食べています。

気づけばもう10月なかば。

あと3週間もすればオープンチャーチです。

今回は香港チームの方々が一緒に盛り上げてくださる予定です。

秋本ビル時代に始まった「秋のバザー」から数えると25回を超える教会行事(四半世紀ですね)となります。

少しづつ形を変えながらも、地域に開かれた教会として人々が入りやすい場所としてオープンチャーチがこれからも用いられていくことを祈ります。

11月号の「いのちのことば」をみなさまの週報ボックスにお入れしています。

今回はわたしがリラのページの執筆をしましたのでぜひご一読くださいませ。

主の栄光だけが光り輝きますように!

(小山晶子牧師夫人)

寒いけど暑い

なんだか身体が変な感じ。

急に寒くなったのでエアコンを切って過ごそうとすると汗が出るし、つけると冷えてくるし、冷えたと思ったら次の瞬間ホットフラッシュ。

今までも一気に季節が進んで体調がおかしくなることはありましたが、いやはや困ったものです。

気を抜かないように警戒しながら過ごしていますが夏前からの忙しさもあり自分の身体が信用できません。

早く体温(?)が安定してくれるといいのですが、、、。

皆さんも異常な夏の暑さをようやく乗り越え、疲れを覚えておられることと思います。

無理せざるを得ない場面もあると思いますが日々守られますよういつも名前を挙げてお祈りしています。

神様は24時間365日いつでもわたしたちの祈りに耳を傾けてくださいます。

「今は忙しいから後でアポイントとって」とは決しておっしゃいません。

本当に私たちは幸いな者だと思います。

聖書には

「主を待ち望むものは新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる」

と記されています。

この御言葉の真実を体験する1週間でありますように。

(小山晶子牧師夫人)

背中が、、、

痛い。

どうやら筋を違えたようです。

息をするのも痛い。

下を向くのも痛い。

横になるのも痛い。

寝返りのたびに痛くて目が覚める。

原因はわかっています。

単純に重いものを無理して持ったから。

できると思ったのですが自分のキャパを正確に把握できていなかったようです。

重いもの、だけではなく様々な場面でこの失敗をしてきた人生でもあります。

その度に謙遜にさせられますが主の御手にすがりつつ歩んでいきたいと願います。

こんなわたしでも、主よ、知恵を与えてくださいと祈らされるのですから国のリーダーなら尚更のことだと思います。

今回自民党の総裁に選出された石破さんは4代目のクリスチャン。

わたしの記憶が正しければプロテスタントのクリスチャンが総理総裁になるのは40年以上前の大平正芳さん以来だと思います。

現職の総理が亡くなり、しかも棺に十字架があしらってあったことは幼かったわたしの記憶に今も鮮明に残っています。

石破さんにも私たちが想像もできないような孤独とご苦労があると思いますが、主が力を与え国の舵取りをする知恵を豊かに与えてくださるよう祈ります。

(小山晶子牧師夫人)

汗が

人生でこんなに頻繁に頭から汗をかく日が来るなんて考えもしませんでした。

波のように訪れるその時間は携帯扇風機のお世話になりっぱなしです。

それでふと思いました。

猫のジョシュは汗をかかないのだろうか?

亀のジェニーは水の中で生活しているから汗は想像できませんが猫は暑い日に暑い部屋で寝ているので不思議に思いました。

汗で体が濡れていたことはこれまで見たことがないので少し調べてみました。

驚くことに気温の変化で全身に汗をかく生き物は人間と馬(馬は運動や緊張で)ぐらいだそうです。

おお、やはり人間は特別なのだと感激していたら「汗をかく機能がからだに備わったのは、猿から人に進化する過程でのこと」ですって。

いやいや、神様がそう造られたのだと信じる方がよほど簡単だと思いますが、、、

タイムリーにもあるクリスチャンの心臓外科医が書いた『あなたがどこから来たのかわかる本』が増補改訂版でつい最近出版されました。

興味のある方はお貸しします。

さて、猫に関してですが汗をかくのは鼻と足の裏の肉球のみだそうです。

汗ひとつとっても神様の創造のわざを讃美せずにはいられません。
(小山晶子牧師夫人)

生もみじ 

先日広島での仕事から戻ってきた長男がお土産に「生もみじ」を買ってきてくれました。

しっとりもっちりとした生地に甘さ控えめのあんこが入った新しいタイプのもみじ饅頭で、調べてみたら米粉を使い10年かけて開発した広島新銘菓だそうです。

最近「生どら焼き」や「生カヌレ」「生チョコレート」など「生」という言葉がつくお菓子が増えましたが一般的には生菓子の定義は水分量が30%以上のもの、ということだそうです。

ところで、これをクリスチャン生活に当てはめてみるとどうでしょう。

30%以上御言葉に導かれている「生クリスチャン」、10〜30%ぐらいは御言葉を土台としている「半生クリスチャン」、ほとんどもしくは全く御言葉に生きようとしていない「干クリスチャン」わたしたちはどのタイプのクリスチャンでしょうか。

生き生きとしたクリスチャンとして歩めるようにいつも新鮮な御言葉を蓄え、用いることができますように。

『 主の教えを喜びとし昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は水路のそばに植った木のようだ。時がくると実がなりその葉は枯れない。その人は何をしても栄える(詩篇)』

(小山晶子牧師夫人)

ほんの少し

ほんの少しだけ秋めいてきました。

朝夕の風が涼しく感じられ、そこに秋の虫の声も加わり猛暑を振り返る余裕も出てきた今日この頃。

ここからはクリスマスシーズン、年末まで一気に駆け抜ける感じもしますが、一つ一つの教会の働きを丁寧に行っていけるようお祈りいただければ幸いです。

ところで、今月最後の日曜日(9/29)午後、ホルン奏者の宮田四郎さんが伝道コンサートをしてくださることを皆さまご存知でしょうか。

昨日申し込み状況をチェックしたらなんとまだ一名しか(しかも他教会の方)名前がありませんでした。

8月は暑すぎて、または忙しすぎて考えられなかったという方もいらっしゃると思います。

入り口にチラシがたくさんありますのでご家族友人知人をお誘いいただきふるってご参加ください!

そういえば昨年の秋の伝道コンサートは岩渕まことさんご夫妻が来てくださいましたね。

多くの方の協力と祈りの支えがあってこの教会がこの地に存在しているのだと思います。

誰かが福音を伝えてくれたから、今私たちがここにいるのです。

誰かのために私たちも福音を伝える者になりましょう。

(小山晶子牧師夫人)

お米がない

令和の米騒動とでもいうべきでしょうか。

報道では知っていましたがどこに行っても米が売られていないという事態に遭遇し流石に少し焦りました。

コストコにもロピアにもエイビーにもサンドラッグにも、棚に米袋が一つもないなんて、こんな経験初めてです。

マリーアントワネットは「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言ったとか言わないとか。

わたしもお米がないなら小麦粉で主食を確保するしかないと思いせっせとベーグルを焼いております。

ところで今日から9月。

今年もあと4か月となりました。

とにかくこの異常な暑さを乗り切ることができ感謝ですが、夏の疲れが出てくる時期でもあると思います。

皆さまの日々が守られますよう祈ります。

わたしたちを健やかにする日々の糧はとても大切。

身体のために必要な食物だけでなく、霊の糧も毎日きちんといただきましょう。

クリスチャンが日々の霊的な糧である聖書の御言葉を頂かないと信仰生活は栄養失調となってしまいます。

もし信仰生活がバテていると感じているなら、霊的な食生活を改善することも必要です。

 (小山晶子牧師夫人)

笠松フミ子先生

昨日この場所で笠松フミ子先生の告別式を行いました。

参列して下さった皆さま、供花にてお心を寄せて下さった皆さま、心より感謝いたします。

笠松兄と共に栄シャロームに転入会しておられたフミ子先生ですが、既に施設に入所しておられ、またコロナ禍ということで面会制限がありほとんどお目にかかることは叶いませんでした。

告別式で初めて会堂に入られたということは残念ではありますが、一度でも入っていただくことができたのだと気持ちを落ち着かせています。

葬儀の準備にあたり何人かの方から主の働きをしておられた頃のフミ子先生のご様子、思い出などを寄せていただきました。

慕われていたお人柄や教会学校の熱心な関わりなど初めて知ることばかりで胸がいっぱいになりました。

主のため人々のために捧げ切った人生。

その実は確実に残り次世代へと繋げられています。

ある方の思い出に「フミ子先生とリラの賛美をしていました。」というひと文があり泣きそうになりました。

天国でお目にかかれる日を楽しみに、私たちも地上での生涯をキリスト者として精一杯歩んでいけたらと願います。

 (小山晶子牧師夫人)