「彼らは自分の神に対して聖でなければならない。また自分の神の御名を汚してはならない。彼らは、主への火によるささげ物、彼らの神のパンをささげるからである。彼らは聖でなければならない。」(6節)
ここでは儀式的な清さについて言及しています。ボウカムという学者がこのような解説をしています。
「穢れとは、人々がさまざまなものと接触して身に受けてしまう、ある種の目に見えない汚染のようなものと考えるのがもっとも妥当だろう。私たちの目には奇妙に映るかもしれないが、伝統的な人々の多くは儀式的な清さという考えをもっている。・・・神が神殿に宿っているとは、そこに清浄な空間が生み出されているということであり、その聖域に穢れた状態の人間が入ってしまうとその清浄さが損なわれてしまうということだったのだ。」
イエスの十字架はすべての穢れから私たちを清めます。