「その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」(2節)
沢村五郎という牧師が、サムエルが20年間何もできなかった理由を、こう解説しています。
「それは民に主を慕う何の渇望もなかったからである。いかに偉大な預言者があっても、渇望のない民に対しては、手の施しようがないのである。」
サムエルは、
「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」
という状況まで、待つ必要があったと言うのです。
「神様がしてくださらなければ、どうすることもできない」
という程の、渇望をもつまで、待つ必要があったと言うのです。
イエス・キリストも言いました。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37,38)
今日は主の日です。主を慕い求め、共に、礼拝を捧げましょう。