箴言 27章

「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」(1節)

わたしたちは、短期的、長期的に多くのプランや夢を描いています。それは具体的なものであれ、抽象的なものであれ、大切なことであると思いますし、聖書の中にもビジョンを持つことの重要性がたびたび記されています。この箇所でのポイントは、それらの日々が、自分で得たものではなく神から与えられたものであることを、自覚するということです。わたしたちがどんなに自分で努力を重ね、夢に向かって前進していったとしても、命を支えてくださっている神を無視して生きるならば本末転倒です。イエス様は言われました。

「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(マタイ6:27)

このことを自覚し、「神の国と神の義」を第一に、謙遜に生きていこうではありませんか。

箴言 26章

「たきぎがなければ火が消えるように、陰口をたたく者がなければ争いはやむ。」(20節)

アルファのニッキー先生がこんなことを言っています。

「その人がそこに存在しているように誰かについて話そう。」

その人がそこにいたら話せないことを言うことは陰口です。誰かの陰口に耳を傾けていると、その怒りや不満をあたかも自分が体験しているように感じ、結果的に自分も平安をなくしてしまうばかりか、今度はまた別の人にその思いを「分かち合って」しまうという悪循環も起こります。わたしたちはこの陰口の連鎖からどのようにして抜け出せばよいのでしょうか。

「たきぎがなければ火が消える」。

「私は、陰口を聞きたくはありません。」

という姿勢だと思います。陰口は言わない、聞かないという姿勢が、結果的にたきぎを減らすことになります。

箴言 25章

「忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。」(15節)

LBではこう意訳しています。

「小さな水のしずくでも、長い間には堅い岩をけずります。同じように、じっと忍耐していれば、柔らかい舌が堅い骨を砕くことになるのです。」

聖書はコツコツと地道に頑張ることの大切さを伝えています。新約聖書にも似たようなことが記されています。

「神の約束されたものを頂きたいと願うなら、忍耐しなければなりません。」(ヘブル10:36LB)

私たちは祈りつつ聖書をコツコツと読むことよりも、手っ取り早く何らかの助けを誰かに求めやすいところがあると思います。しかし、聖書は地道に神との関係を築いていくことが大切だと言います。神はある日突然、素晴らしい奇跡を行うお方ではありますが、私たちは忍耐強く、地道に生きる姿勢が大切です。あるゴルフ選手がこんなことを言っています。「練習をすればするほどラッキーになる。」

箴言 24章

「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。」(10節)

苦難の日は誰にもやってきます。その日に、落ち込んでしまうのが当たり前ではないでしょうか。どんなに強がっても、所詮人間の力は、そんなものではないでしょうか。しかし、クリスチャンは弱いときに強い(Ⅱコリント12:10)という世界があります。なぜなら、苦難の日にどうしたらいいか知っているからです。神様は言います。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)
私たちが膝をかがめる時、それは、弱弱しく見えるかもしれませんが、もっとも力強い時でもあるのです。自分の弱さを認め、膝をかがめましょう。主を呼び求めましょう。主が、私たちを引き上げてくださいます。
今日は主の日。共に、主の前に膝をかがめ、主を呼び求め、礼拝を捧げましょう。

※ 本日は感謝礼拝。感謝を分かち合う時をもちます。

箴言 23章

「あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。」(17,18節)

「終わり」と訳された単語は「将来」とも訳せます。同じ単語が、エレミヤ書に出てきます。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(29:11)

神様が与えると約束された「将来」と訳された言葉が同じ言葉です。ですから、今日の箇所が教えていることは、私たちの将来は神を恐れるかどうかにかかっているということです。神を恐れる者には未来があります。希望があります。失望に終わることはありません。

箴言 22章

「なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される。」と。」(13節)

LBではこう訳しています。

「怠け者は『仕事になんかとても行けない。外に出たら通りでライオンに食い殺されるかもしれない』と言いわけをします。」

つまり、起こる確率が低いようなことをもっともらしい言い訳にして、逃げていてはいけないという意味です。当時のイスラエルにライオンがいたことは確かです。しかし、ライオンに食い殺される確立はほとんどなかったはずです。それはちょうど、交通事故にあうかもしれないから、仕事に行けないと言っているようなものです。もっともらしい言いわけをして、逃げの人生を送ることは、神のみこころではありません。ジグ・ジグラーというクリスチャンの講演家は、こんなことを言っています。

「しなければならないときにしなければならないことをすれば、したいときにしたいことをできる日が、きっと訪れるだろう。」

箴言 21章

「悪者はあつかましく、正しい者は自分の道をわきまえる。」(29節)

LBではこう訳しています。

「悪人は強情ですが、神を恐れる人は、悪いとわかれば素直に考え直します。」

チャック・スミス師はよくこう言っていました。

「柔軟な人は幸いです。その人は折れません。」

完全な人など、この世界には存在しません。誰もが間違えることはあるものです。ですから問題は、自分が悪いと気づいたときに、強情になるか、それとも素直に考え直すかということになります。そういう意味で、柔軟さは、私たちの人生でとても大切です。ですから聖書は言います。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(?ヨハネ1:9)

箴言 20章

「なまけ者は冬には耕さない。それゆえ、刈り入れ時に求めても、何もない。」(4節)

誰の人生にも、「冬」のような時期があります。何をしてもうまくいかないように思える時・・・。しかし、聖書は、そのような時こそ大事な時だと言います。誰にも認めてもらえないような時に、どれだけ学び、下積みできるかで、私たちの人生は変わっていきます。宗教改革の指導者、マルチン・ルターは、命を狙われる人生の冬のような時期に、コツコツと聖書をドイツ語に翻訳し、ドイツ語の聖書を完成させました。アルファのニッキー・ガンベル師は、こんなことを言っています。

「あなたが苦闘しているからといって失敗しているわけではない。すべての偉大な成功は、そこに到達するまでに何らかの苦闘が必須である。」
「冬のうちに耕しておかないと、刈り入れ時になっても収穫は望めません。」(LB)

箴言 19章

「激しく憤る者は罰を受ける。たとい彼を救い出しても、ただ、これをくり返さなければならない。」(19節)

LBでは今日の箇所をこのように意訳しています。

「短気な者が失敗したら、自分で後始末をさせなさい。一度でも助けてやると、くり返すようになります。」

冷たい表現のように聞こえるかもしれませんが、ガラテヤ書にもこのように記されています。

「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」(6:5)

もちろん、互いに助け合うことも大切なことですが、その人が自分自身で向かっていくようにあえて手を差し伸べないことも大切なことだと聖書は言います。いずれにせよ、私たちは他者から操作(マニピュレート)されないように気をつける必要があります。短気を起こせば何でもしてもらえると思わせてはいけません。

箴言 18章

「愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表わす。」(2節)

近年の特徴は、自分の意見だけを表わすことだと思われます。ブログにツイッターの普及は、そのような傾向の表れだと言われています。自分の意見を主張することは大切なことですが、他者から学ぼうとせず、ただ一方的に自分の意見だけを主張するときに、その発言の内容はとても軽いものとなってしまいます。口は一つですが、耳は二つありますから、人は、自分が話す倍のことを聞く必要があると言う人がいます。神様は確かに、私たちにそのような姿勢を持って欲しいと願っていることは今日の箇所からも明らかです。また、LBでは、今日の箇所を次のように意訳しています。

「神に背く者はただ大声で叫びたいだけで、事実はどうでもいいのです。」

自分の意見だけを主張する人とは議論を避けることも大切です。