1テモテ 3章

「自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。」(5節)

パウロは、教会の奉仕よりも家庭を優先するように勧めています。家庭を大切に出来る人でなければ、教会を大切にすることはできないというのです。5章ではさらにこう記されています。

「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」(8節)

家族を顧みることが出来ない人は、

「クリスチャンと呼ぶわけにはいきません。」(LB)

とまで、聖書は語っています。夫婦関係も親子関係も、献身が求められます。そのように家族に献身することが出来ない人に、教会の働きに献身することは不可能だと言うのです。

「主よ、あなたが家族を大切にするように語っているという事実を、しっかり認識することができますように。」

1テモテ 2章

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(1節)

いつの時代も、指導者(リーダー)に対する不満や反発が存在します。すべての人が満足するリーダーシップは幻想でしかありません。聖書は、私たちに指導者たちを批判する側ではなく、祈る存在になるように教えます。LBではこう訳しています。

「すべての人のために、神のあわれみが注がれるよう熱心に祈り、とりなしなさい。そして、やがて彼らにも恵みが与えられると信じて、感謝しなさい。また、すべての重い責任を負っている人たちのために祈りなさい。それは、私たちが主を深く思いながら、平安のうちに落ち着いた一生を過ごすためです。」

指導者たちが正しい決断をすることが、すべての人にとって益となります。年の初めに、すべての指導者(リーダー)たちのため、祈りましょう。

あけてしまいました

なんということでしょう。2017年が明けてしまいました。今年は珍しく元旦が日曜日。新年を始めるにあたって最も良い形のような気がします。今年はどんな一年になるのか、全く予測ができませんが、地に足をつけた信仰生活を心がけていきたいと思います。マイナスに見えることが多いように感じるかもしれませんが、神様の確かなご計画の中で歩んでいることを常に確認し、意識できる日々でありたいと思います。ここまで主が運んでくださったように、これからも主は私たちを運んでくださいます。状況に思いが左右されるような時には、主がペテロに語って下さった言葉を思い出しましょう。
『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。』
『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』
御言葉を大切に、歩んでいきましょう。祈りはクリスチャンの呼吸、御言葉は食物です。どちらを怠っても飢餓状態になります。この一年を終える時、健康なクリスチャン生活を送った、と私たちみんなが言えることを願っています。

(小山晶子牧師夫人)

1テモテ 1章

「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。」(5節)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

使徒パウロは「教え」のゴール(目的)は「愛」だと言います。コリント書で

「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」(1コリント13:2新共同訳)

と言いましたが、同じような内容だと思います。「愛」を目的としない「教え」は無に等しく、教会においては混乱をもたらします。もっともその「愛」は、きよい心、正しい良心、偽りのない信仰を土台としたものだと言います。LBではこう訳しています。

「私がひたすら願い求めるのは、すべてのクリスチャンが純粋な愛の心を持ち、その思いがきよめられ、信仰が強められることです。」

今日は新年礼拝。今年も共に主に礼拝を捧げましょう。

※ 本日は13時半より新年礼拝。(9時、10時半、18時はありません)