ミカ書 4章

「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。」(1節)

LBではこう訳しています。

「しかし、終わりの日に、シオンは世界中の山々で最も名を知られるようになり、世界のすべての国々から称賛され、世界中から巡礼が訪れる。」

今でも、多くの巡礼者たちがエルサレムを訪れていますが、この世の終わりは、その比ではないと言います。なぜなら、

「その日には、主がエルサレムから全世界を支配する」(2節LB)

からです。聖書が教えていることは、この世の終わりに、クリスチャンはある日突然天に引き上げられ、この地に大患難時代が訪れます。その後、キリストが再臨し、千年王国と呼ばれる時代が来ます。

「彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。」(黙示録20:6新共同訳)

千年王国の時代にこの箇所は完全に成就します。その日を待ち望みつつ、日々の生活においても、キリストの統治を祈ります。

ミカ書 3章

「しかし、私は、力と、主の霊と、公義と、勇気とに満ち、」(8節)

ミカは、当時のイスラエルの指導者や預言者の堕落を指摘した後に、こう言いました。

「しかしわたしは主のみたまによって力に満ち、公義と勇気とに満たされ、」(口語訳)

イエス様は、弟子たちに言いました。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒1:8)

この力こそ、預言者ミカが体験した力です。この力こそ、私たちが今必要としている力です。私たちはどんなにこの力を体験することが必要でしょうか。この力を求めることよりも、他の何かで誤魔化そうとしていないでしょうか。聖書は言います。

「泣くのも悲しむのも、聖霊が上から私たちに注がれるまでです。そして、悪い荒地に作物は育ち、肥沃な地は森となる。」(イザヤ32:15MSG)

私たちは聖霊に満たされる必要があります。聖霊を求めましょう。

ミカ書 2書

「ヤコブの家がそんなことを言われてよいものか。主がこれをがまんされるだろうか。これは主のみわざだろうか。私のことばは、正しく歩む者に益とならないだろうか。」(7節)

「主がこれをがまんされるだろうか。」

と訳された文は、原文を直訳しますとこう訳せます。

「主の霊は制約されるだろうか」。

当時のイスラエルの人々(ヤコブの家の意味)は、ミカの語る神からの預言を、たわごとと言い、語るなと言いました。彼らは、聖霊なる神の言葉を聞きたくないと言ったのです。ミカの時代の人々は、聖霊なる神の働きをコントロールし、制約しようとしました。今の時代も、聖霊なる神の働きを、自分たちが理解できる範囲内にコントロールし、制約しようとする人々がいます。聖書に出てくるような聖霊の働きは、聖書の時代にはあったけど、今は、もうないと言うのです。しかし、聖霊なる神を私たちの理解できる範囲内に制約する事は、誰にも出来ません。

ミカ書 1章

「見よ。主は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。」(3節)

旧約聖書は、ヤハウェなる神ご自身が天の御住まいを出て、この地に降りて来られ、神ご自身が正義をもたらせ、この地を治められることを預言してきました。聖書は言います。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2:6,7)

神の御子、イエス・キリストは預言の通り、天の御住まいを出、降りて来られました。そして、あらゆる病気を癒し、悪霊を追い出すことを通して、神の正義をこの地にもたらされました。しかし、その究極は、十字架にありました。十字架で、私たちの罪のために死なれることを通して、神の正義をこの地にもたらされました。預言の通り、神の支配はキリストによってもたらされています。今日は主の日。共に主を賛美し、礼拝を捧げましょう!

1ヨハネ 5章

「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(11,12節)

これほど簡潔で明確なことばはないと思います。LBではこう訳しています。

「神の言われたこととは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったこと、そして、永遠のいのちが神の御子のうちにあるということです。そういうわけで、神の子を信じる人にはいのちがあり、信じない人にはいのちがないのです。」

「すべての道が神に通じる」と言う人がいます。「誠実であれば、神は受け入れてくださるはずだ」と言う人がいます。しかし、誰がなんと言おうと、神が言われたことは、イエス・キリストを信じることなく永遠のいのちはありません。ですから私たちはイエス・キリストを宣べ伝える必要があります。

1ヨハネ 4章

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(7,8節)

イエス様が私たちに与えた戒めは互いに愛し合うことです。私たちは自分の愛の欠如に心を痛めますが、その愛の源は神だと聖書は言います。ですから、私たちが互いに愛し合うことを選ぶとき、神ご自身が私たちを助けてくださいます。

「もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(12節)

もし、神が私たちのうちにおられるなら、私たちは何も恐れる必要はありません。

「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」(4節)

「キリストと共に歩む時、私たちの愛は成長し、いっそう完全なものとなっていきます。」(17節LB)

1ヨハネ 3章

「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。」(8節)

イエス・キリストを信じる者は、「今すでに」神の子どもです。しかし、後の状態は「まだ」明らかにされていません。

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、/人の心に思い浮びもしなかったことを、/神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」(1コリント2:9口語訳)

私たちは今、この「すでに」と「まだ」の間に生きています。はっきりしていることは父なる神の愛の大きさです。

「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」(1節新共同訳)

1ヨハネ 2章

「若い者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。」(18節)

キリストを信じる者は、戦いの中にいます。戦いは、私たちの思考に関する戦いであり、私たちの人生を決定づける戦いです。神は、私たちが神との関係を築き、祝福された人生を歩むことができるように、私たちの人生を治めたいと願われています。しかし、サタンは、私たちを滅ぼすことができるように嘘を用いて私たちの人生を支配しようとします。この戦いに勝つ方法は、神のみことばのうちにとどまることだと聖書は言います。ダビデもこう言っています。

「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」(詩篇119:11)

神のみことばを心に蓄えることがサタンの嘘にだまされないためにも必要です。

1ヨハネ 1章

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(3節)

「交わり」と訳された言葉は、「共通のものを共有する」という意味があります。使徒ヨハネが、この文脈で主張している共通のものとは、「御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」それはつまり、「生ける神、イエス・キリストを現実として体験」すること、「生ける神の臨在を共有する」ということです。私たちは使徒ヨハネが体験したように、キリストをこの目で直接見たり、聞いたり、触ったりすることはできません。しかし、私たちもヨハネとおなじように、「生ける神の臨在を共有」できると言います。ペンテコステの日に聖霊が臨み、「生ける神の臨在」は、今、キリストを信じる人々の中に回復されます。教会は「生ける神の臨在の民」です。

ヨナ 4書

「ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。」(1,2節)

ヨナは、神が情け深く、あわれみ深い神であることに対して、「怒った」とあります。神がどうしてそんな人を預言者として用いられたのだろうと思ってしまいますが、私たちも似たような所があるのではないでしょうか。自分に対して、神があわれみ深くても当たり前のように受け入れます。しかし、他人が、特に、自分がふさわしくないと思う人の上に神のあわれみが注がれると、私たちは素直に受け入れられなかったりするのです。神の恵みの深さは測り知ることはできません。