ゼパニヤ書 2章

「主の定めを行なうこの国のすべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。」(3節)

ゼパ二ヤ書のメッセージは裁きの警告です。しかし、裁きには目的があります。裁きは来るべき世界のための備えだと言います。LBでは今日の箇所をこう訳しています。

「集まって祈れ、恥知らずの民よ。まだ時間があるうちに。さばきが始まり、残された機会がもみがらのように吹き飛ばされる前に。主の激しい怒りが襲いかかり、御恐りの恐るべき日が始まる前に。謙遜な者たちよ、従おうと努力してきた者たちよ、神に助けを乞え。謙遜に歩み、正しいことを行え。そうすれば、その運命の日に、主に守ってもらえるかもしれない。」(1‐3節LB)

イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかり、死に、復活された今、すべき備えはイエス・キリストを自分の人生の主として信じ受け入れることです。

「キリスト・イエスに属する人が罪の宣告を受けることはありません。」

ゼパニヤ書 1章

「その時、わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し、そのぶどう酒のかすの上によどんでいて、「主は良いことも、悪いこともしない。」と心の中で言っている者どもを罰する。」(12節)

ゼパニヤは、バビロン捕囚前の最後の預言者です。この書は、悲しみで始まり、歌で終わります。今日の箇所は、悲しみの部分です。神を信じていた当時の人の中に、

「主は良いことも、悪いこともしない」、

つまり、自分たちの日常生活に関心もなく、関わりもされないと考え、罪にどっぷりつかっていた人たちがいました。キリスト教会も、気をつけないと同じ失敗を繰り返す可能性があります。イエス・キリストは、ただ2000年前に生きておられただけではありません。十字架にかかり死なれましたが、よみがえられて、今も、生きておられます。イエス・キリストは私たちを愛しておられ、私たちを気にかけておられ、今、私たちに良き働きをされています。

ヨハネの手紙 第三

「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(2節)

この箇所は「三拍子の祝福」と呼ばれます。聖書の神は、私たちがたましいの救いを得るだけでなく、すべての点でも幸いを得、健康であることを願われているお方です。「シャローム」という単語には、健全、全体的という意味があります。ですから、イエス・キリストが約束された「平和」(シャローム)とは、単に争いがないということではなく、全人格的な祝福を意味します。この全人格的な祝福を「祈ります」とあるように、私たちは互いの祝福を祈り合う姿勢が大切です。

「神様、どうか愛する兄弟姉妹のたましいが幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得させてください。経済的にも祝福してください。そして、健康でありますように。」
今日は主の日。共に主を賛美し、礼拝を捧げましょう!