ヨハネ 4:27-42

「そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。」(4:41)

きっかけは何であれ、人々はイエス様のことばによって信じます。イエス様のことばには力があるからです。私たちはサマリヤの女のように、一人でも多くの人がイエス様のことばを聞くことができるように伝える必要があります。もちろん、39節にもあるように、サマリヤの女の証でもイエス様を信じた人たちがいました。私たちの証の言葉も神は用いられます。42節にあるように、最終的に、一人一人がイエス様の言葉を自分で聞いたことは注目すべき点だと思います。今、誰でもイエス様のことばを聖書を通して聞くことができます。一人一人が、自分で聖書からイエス様の言葉を聞くことができるように、私たちは伝えていく必要があります。

ヨハネ 4:1-26

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(4:23)

神がまず何よりも求められているのは本物の礼拝者です。キリスト者として、まず何よりも求められていることは本物の礼拝者となることです。本物の礼拝者とは、日曜日だけで話ではありません。なぜなら、神に喜ばれる行為はすべて礼拝だからです。リック・ウォーレン師も、

「日々の務めを神へのささげ物とし、神の臨在を意識してその務めを果たすとき、それは礼拝となるのです。」

と言います。しかし、それは毎週日曜日にもたれる主日礼拝を疎かにしてもいいことにはなりません。週の初めの日を、まず神様に捧げることが私たちの人生を整えます。私たちは、まず何よりも第一に、真の礼拝者になることが求められています。

ヨハネ 3:22-36

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」(3:30)

バプテスマのヨハネは人々にイエス様を指し示し、

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(1:29)

と言いました。その結果、人々はヨハネを離れ、イエス様の方に行ってしまいました。ヨハネの弟子たちがそのことをヨハネに告げるとヨハネははっきりと言いました。

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」

私たちの姿勢も、このバプテスマのヨハネと同じ姿勢であるべきです。イエス・キリストを指し示し、イエス・キリストが盛んになり、自分は衰えなければなりません。イエス・キリストは大きくなり、私は小さくならなければなりません。すべての栄光はイエス様に帰されなければなりません。主の栄光だけが光り、輝きますように。

ヨハネ 3:1-21

「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(3:8)

大和カルバリ―チャペルの大川先生は、文語訳の「風は己が好むところに吹く」という訳から、聖霊様が好みがあることに気が付いたと言います。聖霊様は愛し合う場所は好まれるが、裁き合う場所は好まれないと。だから、裁く教会は砂漠になると言います。

「牧師は信徒を裁かない。信徒は牧師を裁かない。信徒同士は裁き合わない。」

これが教会成長の秘訣だと言います。愛し合い、赦し合い、仕え合う教会になるなら、聖霊様が縦横無尽に好んで吹いてくださると言います。聖霊様に好まれる教会になることができますように。

ヨハネ 2:1-25

「しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。」(2:9)

カナの婚礼でぶどう酒がなくなってしまった時、イエス様は水をぶどう酒に変える奇蹟を行いました。この奇跡を間近で体験したのは、イエス様に言われた通りに水をくんだ手伝いの者たちでした。彼らが奇跡をおこなったのではなく、イエス様が奇跡をおこなわれました。しかし、彼らの働きを用いて、イエス様は奇蹟を行われました。イエス様は今も、私たちを用いて奇跡の御業を行おうとされています。私たちが忠実に主のみことばに従う中で、神の奇蹟は行われます。それは、水をくんだしもべだけが知ることができる世界です。