使徒 15:1-21

「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」(15:11)

三浦綾子さんの興味深い聖書解釈があります。

「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5:14)

とイエス様がおっしゃったのは、

「どんな人も世の光として神がその生を赦していてくださる」

という解釈です。イエス様は、「あなたは世の暗闇」とは言いませんでした。あれでも、あんな人でも世の光、神様が命を与えてくださったからには、その人の存在を否定してはいけないと。今日の箇所で、使徒ペテロは、ユダヤ人クリスチャンたちに、異邦人クリスチャンの存在を否定しないように言います。この世は誰一人、自力で救われた人はいません。みんな、神の一方的な恵みによって救われました。お互いの存在を尊重し合う必要があります。

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)

使徒 14:8-28

「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。」(14:15)

使徒パウロたちの奇跡的な働きを見た人々は、彼らを「神々だ」とまつりあげようとしました町のゼウス神殿の祭司までが、彼らにいけにをささげようとしました。それでパウロは叫びました。

「皆さん。なんということをするのです。私たちは、皆さんと同じ、ただの人間ではありませんか。こんな愚かなことはおやめなさい!天と地と海、それにその中のすべてのものをお造りになった神を礼拝しなさい。私たちは、そのために、福音を伝えに来たのです。」(LB)

どんな人であっても、人間を偶像視すべきではありません。人間は人間です。私たちは天地万物をお造りになった造り主だけに礼拝を捧げるように召されています。

使徒 13:42-14:7

「次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。」(13:44)

町中の人がパウロたちが語る神のことばを聞きに集まって来ました。人々が聞きたかったのは、神のことばでした。聖書は神のことばであり、キリスト・イエスを信じることによって救われるための知恵を与えてくれます。私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。私たちをあらゆる点で整え、どんな良い働きをも行う力を、十分に与えてくれます。(2テモテ3:15-17参照)ですから聖書は言います。

「どんなときにも、神のことばを熱心に伝えなさい。機会があろうとなかろうと、つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。」(2テモテ4:2)

もっともユダヤ人の指導者たちは、ねたみに駆られて、ことごとくパウロに反対しました。しかし、永遠のいのちを求める人はみな信仰に入りました。

使徒 13:13-41

「ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。」(13:36)

リック・ウォーレン先生は、この箇所を通して人生の方向性が永遠に変えられたと言います。このみことばを読んだ時、どうして神がダビデを『わたしの心にかなった者』と呼ばれたのかを悟ったと言います。ダビデがそう呼ばれたのは、彼が神の目的に全生涯を捧げたからだと。また、これほど素晴らしい墓碑銘はないと言います。「〇〇は、この時代にあって神の目的に仕えた。」過去の人も、未来の人も、今の時代に生きることはできません。この時代にあって神の目的に仕えることができるのは、この時代に生きている私たちだけです。神は私たちをこの時代のために造られました。この時代にあって、神の目的に生きることができますように。

使徒 12:19-13:12

「するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。」(12:23)

ヘロデは民衆から、

「神の声だ。人間の声ではない。」

と称賛されて、いい気になっていました。神に帰さなければならない栄光を自分のものとしたヘロデは、結局虫にかまれて息が絶えてしまいました。イエス様は、イエス様を信じることができない理由をこう警告しました。

「互いにほめ合ったり、ほめられたりすることは喜んでも、ただ一人の神からほめていただくことには関心がないのですから。」(ヨハネ5:44LB)

人々から称賛されるためではなく、神の栄光を現わすために人は造られました。栄光は神のものです。神は言われます。

「わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」(イザヤ48:11)

恥は我がもの、栄光は主のもの、すべての栄光を神に捧げることができますように。

イエス様のひつじ

いまデボーションでヨハネの福音書を読んでいます。10章のイエス様の

「羊は彼(イエス様)の声を知っているので彼についていきます。」

という言葉をここ数日ずっと黙想しています。「声」の重要性をとても感じているからです。きっかけはうちの猫たち。ちゅーるという猫用のおやつをあげる時わたしはちゅーるのコマーシャルの歌を歌っています。歌い始めの言葉だけで猫たちはものすごい勢いで私の周りに集合するのです。けれども最近、私が歌わないと同じ歌を歌っても猫たちが反応しないということに気付きました。息子たちや夫、実際のコマーシャルの音などで試してみたのですが、それらには全く無反応なのです。私の声だから、集まってくるのです。その猫たちの様子を見ながら、この聖書の箇所がさらに私にとって意味深いものとなりました。イエス様の声を知っている、とは他の声と迷いがまったくないということだと思ったのです。だから惑わされることもありません。そうなりたいなあと思います。何度も何度もイエス様の声を聴き続けましょう。(小山晶子牧師夫人)

使徒 11:19-12:19

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」(12:5)

初代教会のリーダーの一人、ヤコブが殺され、もう一人のリーダー、ペテロも逮捕されてしまいました。当時の教会は、人に頼ることも、お金に頼ることもできませんでした。もちろん、権力に頼ることもできません。政治力もありませんでした。しかし教会は神に熱心に祈り続けていました。神は祈りを用いて奇跡を起こされます。聖書は言います。

「彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。」(12:10)

問題は私たちを祈りの器に変えるためにあります。祈りがなければ鉄の門が開かれることはありません。事実、聖書は言います。

「そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」(12:12)

今日は主の日。共に集まり、主に礼拝を捧げましょう!

使徒 10:23-11:18

「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」(10:44)

使徒ペテロは、自分が見た幻とユダヤ人ではないコルネリオの話を聞いて悟りました。ペテロは言います。

「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。」(34,35節)

そして、そのことを証明するかのごとく、聖霊が、ペテロが話し続けている時に、そこにいた一人一人にお下りになりました。

「彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。」(46節)

聖霊は、今も、神のみことばに真剣に耳を傾ける、神を礼拝するすべての人の上にお下りになります。

使徒 9:32-10:23

「すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(10:4)

コルネリオはユダヤ人ではありませんでした。しかし、彼は祈りの人でした。そして、御使いは明確に、彼の祈りは覚えられていると言いました。彼はまた、施しの人でした。御使いは彼の施しも覚えられていると言いました。聖書は、私たちは行いではなく、一方的な神の恵みによって救われると言います。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8,9)

しかし、それは、私たちの祈り、施しが無意味ということではありません。神は私たちの小さな祈りに答えられる神であり、私たちの小さな施しを用いられる神です。

使徒 9:1-31

「彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(5節)

パウロは、キリスト教徒を迫害していました。ダマスコにある教会を迫害しに行く道の途中、イエス様がパウロに現れました。パウロが「あなたはどなたですか」と尋ねると、イエス様は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と答えられました。パウロが迫害していたのは教会であり、キリスト教徒でした。しかし、イエス様は、ご自身を教会と同一視されました。教会を迫害するのは、イエス様を迫害するのと同じだと。教会は不完全な人間の集まりですから、問題がないわけではありません。しかし、イエス様はそんな欠けだらけの教会を、ご自分と同一視されました。ですから、地域教会を軽視することは、イエス様を軽視することと同じです。目に見える教会を愛することが出来なければ、目に見えない神を愛することはできません。