1コリント 9:1-18

「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」(9:16)

「福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」(14節)というのは、伝道者が生活のために働いてはいけないという意味ではありません。パウロが言いたいのは理想的には福音の働きから生活の支えを得ることですが、生活の支えを得れないならば、自分で働いてでも福音を宣べ伝えるということです。なぜなら、福音を宣べ伝えることは、どうしてもしなければならないことだからです。イエス・キリストの教会で働く者は、当時のギリシャ哲学者たちとは違い、高額な授業料を支払える人たちのためだけではなく、すべての人に神のみことばを教えなければならないからです。

1コリント 7:36-8:13

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」(8:1.2)

自分は何でも知っていると思ったら、

「知らない」

という知らなければならないことも知っていないと聖書は言います。知識を蓄えることは大切なことですが、知識が人を高ぶらせるのもまた事実です。問題は、自分の知識のゆえに、自分の判断がいつも正しいと思ってしまうことです。しかし、聖書は知識よりも、愛の方が大事だと言います。

「自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。」(LB)

聖書は言います。

「しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」(8:3)

私たちが知っていることよりも、神に知られていることの方が重要です。私たちは知識ではなく、神の愛によって行動することが求められています。

『世界の美しい鳥』より

わたしは生き物が大好きです(ただし虫意外)。幼いころ好きだった番組は「野生の王国」。ヌーの群れの移動やライオンの狩りの姿にわくわくしましたし、小学生の頃はいつも近所のどぶ川にフナやザリガニを取りに行ったり、どこかに子猫がいないかと竹藪の中にある物置の下を覗いてみたり。
先日教会学校でマタイの福音書6章を学びました。『空の鳥を見なさい。』とのイエス様のお言葉に、見てみよう!ということになり、ネットで検索していたら見たことのない鳥が沢山出てきました。その中でもひときわ目を引いたのが南アフリカ南部で撮影された“ライラックニシブッポウソウ”という鳥。頭は緑、口元はオレンジ、胸はピンク、腹部から足元にかけてはターコイズブルーの毛で覆われた何とも愛らしい鳥です。この鳥を見ただけでただただ神様ってすごい!と教会学校の子どもたちと一緒に感動していました。疲れているとき、一般恩寵の中にあらわされた神様の偉大さに目を向けることは枯れた心に水がどっと流れ込むように私たちを潤してくれるのだと思います。神様ってやっぱりすごい!(小山晶子牧師夫人)

1コリント 7:17-35

「あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。」(7:32)

イエス様は言われました。

「…御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない…」(マタイ13:22共)

世の思い煩いが、私たちの人生を実らせないようにします。それで聖書は何度も、

「思い煩わないように」

と言います。思い煩いが私たちの目をキリストから離させるからです。いろいろな思い煩いがありますが、31節にはこうあります。

「この世の魅力的なものに接する機会の多い者たちは、その機会を正しく利用し、おぼれることがないようにしなさい。現在あるがままの世界は、やがて過ぎ去るからです。」(LB)

「私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。」(35節新改訳二〇一七)

今日は主の日。共に礼拝を捧げましょう!

1コリント 7:1-16

「以上、私の言うところは、容認であって、命令ではありません。」(7:6)

コリント人への手紙は、手紙であり、規則書ではありません。一世紀の地中海沿岸地域の人々が抱えていた問題に対して、ここでパウロは牧会的助言をしています。重要なポイントは、

「一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。」(7節新改訳二〇一七)

パウロは助言をしつつも、神が与えたライフスタイルが人それぞれにあることも認めています。助言をする側は、神がそれぞれの人生に関わられていることを認めて、自分の助言を押し付けないように気をつける必要があります。助言を聴く側も、神から与えられた自分の賜物があることを認めて、助言に振り回されるのでなく、神のみこころを自ら求める姿勢が必要です。

1コリント 6:1-20

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(6:20)

私たちのからだは、イエス様の血潮で贖われたと言います。価値があると言います。聖書は禁欲生活を勧めているのではなく、正しく用いることを勧めています。「聖霊の宮」として、私たちの体を通して人々が神を見ることができるような生活を心がけなさいと言います。それは、つまり、私たちの体を管理するということです。やがて天国に行くまでのものだからと、自分の体をいい加減に扱うことは、聖書が教えている内容とは反します。適度な食事、適度な運動、適度な休養も、聖書が私たちに求めている内容です。パウロは、

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。」

と訴えます。イエス・キリストの十字架の死は、私たちのこの肉体のためでもあったということを心に留める必要があります。

1コリント 5:1-13

「私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。」(5:9,10)

世捨て人というのは、聖書的ではありません。私たちの役割は、この世に生き、様々な人たちとの関わりの中で、イエス・キリストの福音を伝えることです。人は心が変えられる必要があります。私たちを内側から変えることができる方、イエス・キリストを紹介することによって、この世界は変わることができます。変えられたクリスチャンたちが、この世界を変えることができます。私たちはこの世界から出て行くことではなく、この世界に出て行くことを勧められています。

1コリント 4:1-21

「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」(4:5)

パウロは、あくまで主が裁かれるのだから、私たちが互いに結論を下すべきではないと主張します。彼自身、自分でも裁かないとまで言います。パウロは、イエス様が、

「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイ7:2)

と言われたことを心に留めていたのだと思います。聖書がはっきり約束していることは、イエス・キリストが再び来られること、そして、すべてを裁かれることです。私たちが知る由もないことも、神はすべてをご存じです。ですから、裁く役割は主にお委ねし、愛する役割に生きましょう。

1コリント 3:1-23

「もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」(17節)

パウロははっきりと「神の神殿」はキリストを頭とする共同体、「教会」のことだと言います。キリスト教信仰は、神との個人的な関係という部分がありますが、「あなたがた」という共同体の部分もあります。信仰は個人的な側面がありますが、互いを必要としています。「神殿」とは、天と地が重なり合う場所です。キリストの御名によって祈り合う共同体のただ中に、天と地が重なり合います。この地に、神の国がもたらされます。それでパウロは、教会を否定したり、攻撃したりすることに対して警告を発します。新約聖書の時代、教会に集まる意味を見失った人たちがいました。(ヘブル一〇・二五参照)。そのような人たちを意識して、この警告が発せられているのだと思われます。

1コリント 2:6-16

「いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。」(2:16)

今日の箇所をLBでは次のように意訳しています。

「いったい、どうすれば彼らに聖霊がわかるというのでしょう。彼らは、主の思いを知ったこともなく、それを主と論じあったこともなく、また、祈りによって神の御手を動かしたこともないのです。しかし驚くべきことに、私たちクリスチャンは、まさにキリストの思いと心を共有しているのです。」

人はそれぞれ自分の世界観の中で物事を考え判断します。その世界観は自分が育って来た環境や教育などが大きく影響を与えます。聖書に書いてあることに抵抗を感じる理由は、そのような世界観がないからです。もっとも聖書に書いてある世界観は字面を読むだけではわかりません。イエス・キリストを信じ、聖霊を歓迎しなければ理解できない世界があります。