「ヤコブの家がそんなことを言われてよいものか。主がこれをがまんされるだろうか。これは主のみわざだろうか。私のことばは、正しく歩む者に益とならないだろうか。」(2:7)
「主がこれをがまんされるだろうか。」
と訳された文は、原文を直訳しますとこう訳せます。
「主の霊は制約されるだろうか」。
当時の北イスラエル王国の人々(ヤコブの家の意味)は、ミカの語る神からの預言を、たわごとと言い、語るなと言いました。彼らは、聖霊なる神の言葉を聞きたくないと言ったのです。ミカの時代の人々は、聖霊なる神の働きをコントロールし、制約しようとしました。今の時代も、聖霊なる神の働きを、自分たちが理解できる範囲内にコントロールし、制約しようとする人々がいます。聖書に出てくるような聖霊の働きは、聖書の時代にはあったけど、今は、もうないと言うのです。しかし、聖霊なる神を私たちの理解できる範囲内に制約する事は、誰にも出来ません。