エレミヤ書 9:17-11:17

「わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの国から導き出した日に、彼らをはっきり戒め、また今日まで、『わたしの声を聞け。』と言って、しきりに戒めてきた。」(11:7)

 

LBではこう訳しています。

「わたしは、あなたがたの先祖をエジプトから助け出した時から今日まで、くり返し、『わたしのすべての命令に従え』と言い続けてきた。」

 

イエス様が与えた命令は二つだけです。

「イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」」(マルコ12:29-31)

神を愛し、隣人を愛すると、主がくり返し言い続けていることです。神を愛し、互いに愛し、私たちの住むこの世界を愛することができますように。

エレミヤ書 7:30-9:16

「彼らは、わたしの民の娘の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている。」(8:11)

LBでは、今日の箇所をこう訳しています。

「彼らは、実際には平安がないのに、すべてがうまくいくと保証する。こうして、わたしの民のひどい傷に、効き目のない薬を塗っている。」

私たちの時代の問題の一つは、まさに、手軽ないやし、効き目のない薬を塗っているということだと思います。一人一人が神に心を注いで祈り求めることよりも、手軽なレシピを提供しようとします。聖書を開いて神のみことばを待ち望むよりも、手軽な助言を与えようとしてしまいます。本当のいやし、効き目のある薬は、イエス・キリストとの直接的な関係から流れてきます。私たちが本当にすべきことは、私たちの必要に唯一答えることができるイエス・キリストを指し示すことです。

エレミヤ書 6:1-7:29

「あなたがたは、『これは主の宮、主の宮、主の宮だ。』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。」(7:4)

神は

「偽りのことばを信頼してはならない」

と言います。当時のエルサレムの人々は神殿がエルサレムにあるから自分たちは大丈夫、安全だと思っていました。しかし、それは偽りのことばを信頼していると言います。どんなにエルサレムに神殿があっても、神を神として、神のみことばに聞き従う姿勢がなければ滅びると言います。神は言われました。

「次のことを守らなければ、ここにいることはできない。悪い思いと行いを捨て、人には公正に接し、みなしご、やもめ、外国人をだましたりしないこと。人殺しをやめること。偶像を拝んで自分を傷つけるような愚かなまねはしないこと。」(5,6節LB)
偽りのことばに振り回されないためにも、私たちはしっかりと聖書のみことばを学ぶ必要があります。

エレミヤ書 4:10-5:31

「あなたがたの咎が、これを追い払い、あなたがたの罪が、この良い物を拒んだのだ。」(5:25)
 神は私たちに良いものを与えたいと願っておられますが、罪がそれを妨げると言います。罪は「的外れ」という意味がありますが、神を無視して生きている人生は、まさに「的外れ」ということになります。人が本来造られた目的ではなく、暗闇の力に振り回されている状態は、まさに「的外れ」と言えます。自分の問題を棚上げして、「神が自分の願いをかなえてくれない」と言うのは、まさに「的外れ」と言えます。私たちは神に文句を言う前に、自分自身を調べることも大切です。詩人もこう言っています。
「ああ神よ。私の心を探り、内面を調べ上げてください。あなたを悲しませるようなものがあるなら、教えてください。私が永遠のいのちへの道からそれないようにお導きください。」(詩篇139:23,24LB)

エレミヤ書 2:31-4:9

「おとめが自分の飾り物を忘れ、花嫁が自分の飾り帯を忘れるだろうか。それなのに、わたしの民がわたしを忘れた日数は数えきれない。」(2:32)

私たちは自分が何に時間とお金をかけているかということを、見直す時が必要だと思います。なぜならそのことが、私たちの現在の優先していることを知る鍵となるからです。神は私たちに世捨て人のような生活をするように強制しているわけではありません。詩篇の中にも、

「今日こそ主がつくられた日です。さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう。」(詩篇118:24LB)

とあります。しかし、聖書は言います。

「わたしの民は、最も貴重な宝であるわたしを、長い間忘れたままでいる。」(LB)

神がどれほど貴いお方であるかを忘れてしまい、神を意識せず、感謝をささげることもなく生きることは「神を忘れた日」としてカウントされていることを心に留めたいと思います。