詩篇 18:16-24

「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。」(18:19)

この詩を書いたダビデは、人生の中でたくさんの戦いを経験しました。彼は敵に囲まれるような人生でした。そしてダビデは、「彼らは私より強かった」(17節)と言います。しかし、ダビデは言います。「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。」敵はダビデよりも強かったけれども、神は彼らよりももっと強いお方であり、ダビデを救い出されたと。そして、広い所、「安全な場所」(LB)へと連れ出してくださったと。もし、今、広い所にいるならば、神の助けを覚え、感謝しましょう。しかし、もし、そうでないならば、主に助けを求めましょう。自分にはどうすることもできない問題であっても、神にできないことはありません。ダビデを救い出された神は今も生きておられ、イエス・キリストを信じる者を救い出してくださいます。

ものの10分で

ご存知の方も多いと思うのですが、コストコはいいお米が手ごろな値段で手に入ります。しかも、薬コーナーがかなりリーズナブルな値段設定になっているので毎回必ずチェックしています。前回行ったときにマスクが山積みされていたので、コロナウイルスのこともあるし一つ買っておこうかな、と探してみたのですが見事にありません。じゃあせめてアルコールジェルを、、、と思ったのですがそれもない。すると背後でマスク売り場を店員さんに訪ねている声がしました。店員さんは申し訳なさそうに
「すみません、今朝入荷していたんですが、ものの10分で無くなってしまったんです。」
静かにパニックは広がっているのですね。どうしたらいいのかわたしにもわかりません。一昨晩は地震で目が覚めましたし、明日のことは誰にも分らないことを思い知らされますが、マタイ6章26節―34節のイエス様の言葉に励まされています。
『だからあすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。』
(小山晶子牧師婦人)

詩篇 18:7-15

「御前の輝きから、密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と火の炭。主は天に雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。雹、そして、火の炭。」(18:12,13)

「御前の輝き」とは、まさに神の畏れ多い臨在のことです。神の臨在から、突き抜けて来るもの、それは神の御声だと言います。私たちは、神のみ言葉である聖書を通して、神が御声を発せられるのを聴くことができます。聖書の神は御声を発せられるお方、私たちに語りかけてくださる神です。詩人はまた、「主がお怒りになったのだ。」(7節)と神の御怒りに言及します。神の御怒りはこの世の悪に対するものです。この世に蔓延する不正義、人身売買や虐待に対して、怒りを感じないのであれば愛を失っています。悪に対する怒りは善の本質の一つです。神の御怒りは、愛の別表現です。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

箴言 3:21-35

「主があなたの頼みであり」(3:26新改訳二〇一七)

私たちは何を頼みにして生きているでしょうか。私たちが頼みにするのは、今も生きて働かれている「」、イエス・キリストです。主は私たちに「知恵と良識」(21節LB)を与えてくれます。「それらはあなたを生きる力で満たし」(22節LB)、「挫折や失敗からもあなたを守ります」(23節LB)。また、頼みにする「」は言われます。「助けるに値する人から立ち去ってはいけない。あなたの手はその人のための神の御手だから。」(27節MSG)あらゆる機会を用いて善を行いましょう。もし、助ける力があるのならば先延ばしにしてはいけません。頼みにする「」は私たちを用いられます。そして、頼みにする主は、「神の前に正しく生きる人には親しくしてくださいます。」(32節LB)主を頼みにする時、私たちは祈りに導かれ、主との親密さの中に導かれていきます。