詩篇109:1-20

「私は祈るばかりです。」(109:4)

ダビデの体験は昔も今も変わりません。「彼らは善に代えて悪を愛に代えて憎しみを私に返しました。」(5節)残念ながら、「理由もないのに私を憎み、攻めかかって来るのです。」(3節LB)ということがあります。そのような状況で、これらのダビデの激しい言葉を口に出して読むだけでも、私たちの心は取り扱いを受けることができます。もちろん、イエス様は言われました。「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)しかし、それは神の助けなくして不可能です。ですからダビデは言いました。「私は祈りの人。」(4節私訳)人にはできないことも、神にできないことはありません。祈りに導かれることはすべて良いことです。意地を張るのを辞めて、主に明け渡して、権力によらず、能力によらず、神の霊によって生きていくことができますように。
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

詩篇108:6-13

「神にあって私たちは力ある働きをします。」(108:13)

今日の箇所は詩篇60:5-12と同じ言葉が綴られています。詩篇108篇は二つの詩篇が合体した詩です。私たちは賛美を歌う時に、このように様々な形態があることを認める必要があります。
詩人は

「神によって、私たちは最善を尽くすことができます。」(MSG)

ということを知っていました。だから詩人は祈りました。

「あなたが愛しておられる子、私の叫びを聞いてください。あなたの偉大な力で、私を救ってください。」(6節LB)

神は私たちを愛しておられます、私たちの叫びを聞いてくださいます。偉大な力で私たちを救ってくださいます。この神によって、私たちは最善を尽くすことができます。

詩篇108:1-5

「琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。」(108:2)

今日の箇所は詩篇57:7-11と同じ言葉が綴られています。同じ言葉でも、新しい心をもって歌うところに意味があります。「私は暁を呼び覚まそう。」と言う表現は、パウロとシラスが真夜中に賛美をした(使徒16:25)ように、暗闇で歌うことの意味を示唆していると考えられます。賛美には力があります。主への賛美が夜明けをもたらします。なぜなら、

「あなたの恵みは大きく天の上に及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。」(4節)

神の信実(へセド)はあまりにも偉大で天を越える、すなわち、私たちが見ることができる現実を超えると言うのです。私たちは、目に見える現実に打ちひしがれるのではなく、信仰によって主を賛美する必要があります。

「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30:5)

箴言22:28-23:9

「仕事に熟練した人を見たことがあるか。その人は王の前に立つが、無名の人の前には立たない。」(22:29)

30の知恵の4番から9番。

4.他者の権利を犯してはいけない。「どろぼうと同じこと」(28節LB)

5.「まじめに良い仕事をする人は、必ず成功します。」(29節LB)謙遜に、目立たない仕事を誠実に行い続けているなら、神が良い時に高くしてくださいます。

6.影響力のある人と食事をする時は、マナーに気を付ける。(1−3節)

7.金持ちになることに人生を使い果たさない。富は羽が生えて飛んでいく。(4,5節)

8.けちん坊からの食事の接待を受けてはいけない。(6―8節)

9.愚かな人に理にかなったことを言うことを思い悩まない。からかわれるだけ。(9節)

詩篇107:33-43

「知恵のある者はだれか。これらのことに心を留めよ。主の数々の恵みを見極めよ。」(107:43)

祈りに答え、数々の救いの御業をなされた主を描写した詩人は、こうまとめます。

「主の信実(へセド)が分かるように」

メッセージ訳ではこう訳しています。

「もしあなたが本当に賢いならば、このことを考えてください。神の深い愛をあなたは感謝する時です。」

聖書は私たちに、神の永遠に変わらない愛を思い巡らし、感謝を捧げるように教えます。残念ながら人は喉元過ぎればと言うところがあります。しかし、神の臨在の中に入るパスワードは「ありがとう」(詩篇100:4)です。主の愛を思い巡らし、主に感謝を捧げ、歩むことができますように。

詩篇107:23-32

「主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。民の集会で主をあがめ長老たちの座で主を賛美せよ。」(107:31,32)

今日の箇所はまさに聖歌の「人生の海の嵐に」を思い出させます。

「人生の海の嵐にもまれきしこの身も。不思議なる神の手により命拾いしぬ。いと静けき港に着き、我は今、安ろう。救い主イエスの手にある、身はいとも安し。」

「この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から導き出された。」(28節)

イエス様は私たちの祈りに答え、人生の嵐を鎮め、港に導かれます。私たちに求められていることは、主に感謝することです。

「人々の前でも神をほめたたえ」(32節LB)

とあるように、私たちは主の御名を公の場でもほめたたえるように求められています。

詩篇107:10-22

「主はみことばを送って彼らを癒やし滅びの穴から彼らを助け出された。」(107:20)

滅びの穴に落ち込む原因は、神のことばを拒絶することから始まります。

「彼らは神のことばに逆らいいと高き方のさとしを退けた。」(11節)

ですから、癒しはいつも神のみことばに帰ってくることから始まります。神のみことばが私たちを健全にします。神のみことばに帰るためには、祈りが必要です。

「この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から救われた。」(19節)

主に祈ることなく、神のみことばに帰ってくることはできません。神のみことばに帰ることなく本当の癒しを体験することはありません。主を求め、主のみことばに立ち返ることができますように。そして、主にある癒しを体験することができますように。

箴言 22:17-27

「私はあなたのために、勧告と知識についての三十句を書いたではないか。」(22:20)

箴言は私たちがこの地上で生きていくための知恵が記されています。これらは原則であり、例外はあります。しかし、神は私たちのこの地上での日々の生活も気にかけておられますから、私たちのために、勧告と知識を与えてくださっています。ただ、まず大事なことは、

「土台は神を信頼すること」(19節MSG)

ということです。30の知恵がありますが、今日の箇所では最初の三つが記されています。

1.貧しい者、必要がある人を踏みにじらない。(22,23節)

2.怒りやすい人や、激しやすい人の影響を受けて罠に落ちないように気を付ける。(24,25節)

3.他の人の負債のための保証人にならない。(26,27節)

主は今日も、私たちに知恵を与えてくださっています。
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

詩篇107:1-9

「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ飢えたたましいを良いもので満たされた。」(107:9)

主は良いお方であり、私たちの切なる祈りに答えてくださるお方です。主は、私たちの足を素晴らしい道に置いてくださり、住むのに良い場所に真っ直ぐに連れて行ってくださいます。(7節MSG参照)主は私たちが荒野をあてどなくさまよい、空腹をかかえ、喉をからからに渇かせ、体力も衰えはてることを望んではおられません。私たちが「主よ、助けてください」と叫ぶならば、主は私たちの祈りに答えてくださいます。

「主は渇いたたましいを潤し、飢えたたましいを良いもので満たしたからです。」(9節LB)

主に贖われた者は、そのような証を持っています。ですから、聖書は言います。

「主のおかげで自由の身となれた人は、大声でそう人に伝えなさい。」(2節LB)

詩篇106:40-48

「ほむべきかなイスラエルの神主。とこしえからとこしえまで。民はみな「アーメン」と言え。ハレルヤ。」(106:48)

詩篇は全部で一五〇篇ありますが、五巻にまとめられています。今日の箇所は 第四巻のまとめの部分です。それは、賛美と民の応答です。私たちは賛美を捧げるだけでなく、「アーメン」と応答することが求められています。「アーメン」とは、「その通り」、「真実です」という意味です。私たちは、主に向かって「アーメン」、「はい、主よ」と言うように呼びかけられています。