「ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。」(3:3)
人が必要としているのは「罪の赦し」です。
「悔い改め」は精神的にも振る舞いにおいても方向転換をすることを意味します。
ですから、どのような生き方をしているかが「悔い改め」の証拠となります。
「悔い改め」は私たちの内側で始まり、バプテスマはそれを外側で表現します。
信仰生活は誰も見ていないところだけでなく、共同体の中で培われていくものでもあるからです。
イエス・キリストの十字架はすべての人に「罪の赦し」を与えるためでした。
人は自分の罪を「悔い改め」て、方向転換して、イエス・キリストを信じ、バプテスマを受けることを通して「罪の赦し」を受けることができます。
人は神との関係を取り扱うことなしに、正しくあることはないからです。