ヨハネ 10章

「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(10:10)

盗人とはサタン(悪魔)のことです。

サタンが来る目的は、盗み、殺し、滅ぼすためです。喜びを盗み、関係を壊し、人生を破壊するためです。

この世の悪の背後にはサタンの存在があります。

しかし、イエス様が来られた目的は、私たちがいのちを得るためです。

一人でも多くの人に充実した意義深い人生を与えるためです。

パッション訳ではこう訳しています。

しかし、私が来たのは、あなた方にすべてのものを豊かに与え、あなた方が期待する以上のものを与え、あなた方があふれるまで、人生を満ち足りたものにするためです。

クリスマスはイエス様がこの世界に来られたことをお祝いする時です。

このアドベントのシーズン、一人でも多くの人にイエス様が来られた目的を伝えることができますように。

ヨハネ 9章

「こういうわけで再び、パリサイ人たちも、どのようにして見えるようになったのか、彼に尋ねた。彼は、「あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのです」と答えた。」(9:15)

イエス様は往々に信仰の行動を求められます。

この目の見えない人の場合、イエス様は泥を彼の目に塗って、シロアムの池で洗うように言われました。

彼は、シロアムの池に行って、自分で洗うという信仰の行動を行う必要がありました。

神はなんでもできますが、あえて信仰の行動を求められます。

パリサイ人たちの尋問に対する彼の応答を読む時に、彼の信仰の行動が彼の言葉に力を与えていることを見ることができます。

彼はどんなに脅されても、揺るがない信仰をもって答えます。

あの方が罪人かどうか私は知りませんが、一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」(9:25)

ヨハネ 8章

「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(8:31,32)

日本の国立国会図書館に、「真理がわれらを自由にする」と刻まれています。

イエス様は「真理」とは何か、はっきりと言われました。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(14:6)

イエス様が「真理」です。

ですから、「真理がわれらを自由にする」と言う「真理」は、イエス様のことを指しています。

「イエス・キリストがわれらを自由にする」という意味です。

すべての人は、まことの真理、イエス・キリストが必要です。

イエス様はこのことを、ご自分を信じた人たちに言われました。

そして、イエス様の言葉に留まるように言われました。

日々、聖書の御言葉を読み、黙想し、御言葉に留まることを通して自由を体験することができますように。

ヨハネ 7章

「彼らのうちの一人で、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。「私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、さばくことをしないのではないか。」」(7:50,51)

3章でイエス様のところに訪問したことがあるニコデモは、当時の宗教指導者たちの偏見に気づき注意をします。

しかし、彼らはニコデモに言います。

あなたもガリラヤの出なのか。よく調べなさい。ガリラヤから預言者は起こらないことが分かるだろう。」(52節)

最も賢いはずの彼らは自分たちの意見を通すために事実を曲げました。

預言者ヨナはガリラヤ地方の出身です。

さらにイザヤ書9章にはメシアがガリラヤ地方でその働きをされることが預言されています。

私たちは賢いとされる人たちの言葉を鵜呑みにせずに、果たしてそうかと調べる姿勢も大切です。(使徒17:11参照)

現代はメディアに振り回されないように気をつける必要があります。