「私のたましいは、神を、生ける神を求めて、渇いています。いつになれば、私は行って、神の御前に出られのでしょうか。」(42:2)
「あなたは私たちをあなたに向けて造られ、私たちの魂はみもとに安らうまで安んじることはありません」
とアウグスティヌが言ったように、生ける神との関係によってでしか満たされない渇きが、すべての人の内にあります。
ですから詩人は歌います。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」(1節)
詩人が伝えたいのは、新鮮な水でなければ満足できないということです。
昔の体験、誰かの体験で満足することはできません。
私たちは今、自分自身で神との時間をもつ必要があります。
イエス・キリストは過去の偉人というだけではありません。
今、生きておられ、私たちは今、御前に出て行くことができます。
イエス様は言われます。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」