詩篇 34篇

「味わい見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ主に身を避ける人は。」(34:8)

「味わう」ことも、「見る」ことも、体験しなければ分からない世界です。

「いつくしみ深い」と訳された単語は「トーヴ」、英語のGoodに相当する言葉です。

主が「良いお方」であることは体験しなければ分からない世界ということです。

机上で神学を勉強して理解できるような世界ではないということです。

実際に、膝を屈めて祈らなければ、礼拝者として神に礼拝を捧げなければ、神が「良いお方」であることは分からないということです。

味わうためには、口を開ける必要があります。

見るためには、目を開ける必要があります。

私たちは信仰の一歩を踏み出す必要があります。

詩篇 33篇

「新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。」(33:3)

私たちの社会は、常に新しいものが生み出されていきます。

新製品という話だけではなく、旬の食材が食卓に並ぶ時、私たちは新鮮さを味わいます。

私たちと神との関係も新鮮さが必要です。

伝統的な歌も大切ですが、新しい歌を作り、歌うことも大切です。

過去感動した聖句も大事ですが、日々、新鮮な気持ちで聖書を読んでいく必要があります。

過去に感銘を受けた説教を心に留めることも大切なことですが、神が今という時に、説教者を通して語ろうとしていることに心を開いていく必要があります。

神は今生きておられ、新しい事をなさる方です。

聖書の神は、

見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」(イザヤ43:19)

とおっしゃられるお方です。

詩篇 32篇

「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り救いの歓声で私を囲んでくださいます。」(32:7)

聖書の神は、私たちの罪を赦してくださるお方です。

ダビデは言います。

私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう。」と。すると、あなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。それゆえ、敬虔な人はみな祈ります。」(5,6節)

罪を隠し、黙っているならば、疲れ果てます。ダビデは告白します。

私には、罪を認めたくない時がありました。しかし、私はかえってみじめになり、来る日も来る日も挫折感にとらわれて過ごしました。」(3節LB)

ですから、ダビデは言います。

私は神を信じる人々に、大声で忠告します。『自分の罪に気づいたなら、まだ赦される間に神に告白しなさい』と。」(6節LB)

主イエス・キリストは私たちの隠れ場です。苦しみから守り、救いの歌で私たちを囲んでくださいます。