詩篇 82篇

「弱い者とみなしごのためにさばき、苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。弱い者と貧しい者を助け出し、悪しき者たちの手から救い出せ。」(82:3,4)

聖書は明確に

世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない」(1コリント8:4)

と言います。

この詩は神々の存在を肯定しているのではなく、裁判所が社会的弱者を助けるために存在しているということを表現しています。

自分で自分の身を守ることができない人々を救助するために、いろいろな社会的な地位がこの世では与えられています。

しかし、腐敗は紀元前からありました。

だから詩人は言います。

ああ、神よ、立ち上がって、この世をさばいてください」(8節LB)。

すべてを正される神を恐れる裁判官がこの地には必要です。

神の存在を意識するならば、私たちの社会はよりよい社会へと変えられていきます。

主が来られるまで、私たちは神の国をこの地にもたらす働きに召されています。

詩篇 81篇

「ほめ歌を歌い、タンバリンを打ち鳴らせ。麗しい音色の竪琴を、琴に合わせてかき鳴らせ。」(81:2)

この詩篇には、多くの楽器が登場します。

タンバリン(打楽器)、竪琴(弦楽器)、角笛(吹奏楽器)。

私たちはあらゆる楽器を用いて主なる神に賛美を捧げるように命じられています。

教会の歴史の中にはオルガンしか楽器を使うことが許されない時代もありましたが、聖書は様々な楽器を奏で、高らかに賛美を捧げるように命じます。

なぜなら、神は私たちの力の神(1節)だからです。

詩人は自分の知らない神のことばを聞き、歌います。

苦しみの中であなたは叫び、わたしはあなたを助け出した。」(7節)

主は私たちの祈りに答え、私たちを悪い場所から救い出してくださると言われます。(6節MSG)

わたしはおまえの肩の重荷を下ろす。おまえを重労働から解放する。おまえが『苦しい』と叫んだ時、わたしはおまえを助けた。」(LB)

詩篇 80篇

「万軍の神よ。私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」(80:7)

困難を感じる時、私たちは神の臨在によって救われます。

詩人は嘲られ、虐げられていました(6節参照)。詩人は言います。

悲しみと涙が私たちの食べ物なのですか。」(5節LB)

どんなマイナスも、神はプラスに変えてくださいます。

私たちは、詩人の祈りを自分の祈りにすることができます。

「御顔」は「臨在」とも訳される単語です。

神の臨在が照り輝くのを体験するためには、神の臨在が照り輝く場所にいなければなりません。

イエス様はこう言われました。

悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。」(ヨハネ3:21,22)

詩人は、「私たちを元に戻し」と祈りますが、悔い改めて、主の方に戻って来る必要があります。

卒業おめでとう!

3月も半ばを過ぎ、卒業のシーズンを迎えました。

栄シャローム福音教会のユースたちからは7名が中学、高校、大学、大学院をそれぞれ卒業し、新しいスタートに向かって準備しているところです。

みんな、ご卒業おめでとうございます。

楽しさや輝きだけでなく、苦しみや暗闇も経験しながらこの日を迎えたことと思います。

これからもいろんな思いをしながら成長していくみんなの姿を、祈りつつ、時にはひやひやしながら見守っていきます。

コロナの影響でなかなか思うように集まれず教会との距離を感じている人もいるかもしれません。

でも、ここはいつでもみんなが安心して帰れる場所であり居場所でありたいと願っています。

神様を第一として歩んでいくときに、神様は必ず、必ず道をそなえてくださり、導いてくださいます。
神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。(ローマ8:28)』
(小山晶子牧師夫人)

詩篇 79篇

「私たちは、あなたの民、あなたの牧場の羊です。私たちは、とこしえまでもあなたに感謝し、代々限りなく、あなたの誉れを語り告げます。」(79:13)

ああ神よ。あなたの地は、外国の軍隊の占領下にあります。神殿は汚され、エルサレムは瓦礫の山となりました。」(1節LB)

とあるように、この詩の土台となっているのはエルサレム神殿の崩壊です。

主よ。いつまでですか。とこしえに、あなたはお怒りになるのですか。」(5節)

とあるように、詩人はエルサレムが滅ぼされた理由を民の罪に対する神の御怒りと理解します。

それでもなお、詩人は救いを祈り求めます。

その根拠としてあげているのが、自分達は神の民、神に属する民であるということです。

詩人は理解していました。

神が味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。」(ローマ8:31LB)

詩人は、神の民は神の素晴らしさを語り告げる民であるということを告白します。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう。

詩篇 78篇

「それを私たちは、息子たちに隠さず、後の時代に語り告げよう。主の誉れを、主が行われた、力ある奇しいみわざを。」(78:4)

私たちは神のすばらしい御業を、自分のうちにだけとどめるのではなく、次の世代へと語り伝えるように召されています。

詩人は言います。

私たちは、これからも子どもたちに語り続ける。そして、次の世代に私たちの神の偉大な奇跡を隠すことはしない。主の奇跡と力が、私たちをここまで導いてくれた。」(TPT)
次世代の人々が神に希望を見出すことができるように、神のすばらしい御業を伝えていく責任が私たちにはあります。

神の方法は永久に、世代から世代へ、まだ生まれていない人たちへも受け継がれるから。このようにして、どの世代も神に望みを託すようになり、そのすばらしい御業を忘れずに、その戒めを守るから。」(6,7節TPT)

詩篇 77篇

「夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私の霊は探り求めます。」(77:6)

私たちは人生の夜にどのように過ごすかが問われます。

パッション訳では今日の箇所をこのように訳しています。

それから私は、かつて夜のシーズンに歌っていたワーシップソングを思い出しました。そして、私の心は再びあなたへの思いで満たされ始めたのです。そこで私のたましいはもう一度、あなたを探しに出かけました。

真夜中の賛美は私たちのたましいを回復するために必要です。

使徒16章でパウロとシラスが真夜中の獄中で賛美の歌を歌った様に、ハレルヤと歌うことが私たちを獄中から解放します。

賛美の歌声をあげはじめる時、主のみわざを思い起こします。

自分の内側でなく、イエス・キリストを仰ぎ見る時、たましいは救いを体験します。

詩篇 76篇

「天からあなたの宣告が聞こえると、地は恐れて沈黙しました。」(76:8)

地の虐げられた人たちを救うために神は立ち上がり、天から宣告を下されます。

その時、敵の武器は粉砕され、戦争は止み、平和が訪れます。

神は偉大なるお方だからです。

あなたは、実にあなたは恐ろしい方。お怒りになれば、だれが御前に立てるでしょう。」(7節)

天から宣告を下される神は、シオンでご自身を顕されました。

「その仮庵はサレムに、その住まいはシオンにある。」(2節)

「サレム」はエルサレムのこと、「仮庵」は神殿を指しますので、この箇所はシオンの丘に建てられた神殿のことを指します。

すなわちイスラエルに顕されたヤハウェなる神こそが、全世界の神であるということです。

詩人は言います。

「あなたには、人の無益な怒りを賛美に変える力があります。」(10節TPT)

私たちはそのことをキリストの十字架に見ます。

詩篇 75篇

「高く上げることは東からでもなく西からでもなく荒野からでもない。まことに神こそさばき主。ある者を低くしある者を高く上げられる。」(75:6,7)

バビロンの王ネブカドネツァルは、自分の権力に驕り高ぶった時、神から低くされ、天からの声を聞きます。

いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」(ダニエル4:32)

まさにそれが今日の詩篇のポイントです。

神のお力添えがあってこそ、誉れも権力も手にすることができるのです。神は、思いのままに人を栄えさせたり、低くさせたりなさいます。」(LB)

私たちはいと高き神こそがさばき主であり、公正に裁かれ、統べ治められることを認める必要があります。

神がある者を低くし、神がある者を高くします。

聖書は言います。

ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(1ペテロ5:6)

詩篇 74篇

「神は、昔から私の王、この地において、救いのみわざを行う方。」(74:12)

詩人は嘆き、叫びます。

ああ神よ、なぜいつまでも私たちをお見捨てになるのですか。」(1節LB)

こんな状態がいつまで続くのか、だれも知りません。ああ神よ、いつまで敵があなたのお名前を踏みつけるのを、お許しになるのですか。彼らをそのままにしておかれるのですか。」(9,10節LB)

このような詩篇が聖書に含まれている理由は、このような苦悩を体験しているのは「あなただけではない」ということを知るためです。

残念ながら、

キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(2テモテ三・十二)

しかし詩人はこのような中で、神の力を思い起こします。

今、見えないからと言って、すべてを否定する必要はありません。

知らないことのゆえに、知っていることまで手放す必要はありません。

神こそ天地を創造された方であり、統べ治めておられる王です。

救いの御業を行う方です。