「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。」(16:25)
パウロたちはルデヤが導かれた川岸の「祈り場」に行こうとしていました。
しかし、実際に行った「祈り場」は牢獄でした。
ライト師はこう言います。
「イエスに従う者は、世界が苦しんでいる場所で祈りの民となるように召されています。」
「世界が苦しんでいる場所」、まさに真夜中の牢獄の中で祈りつつ神を賛美する歌を歌う、これがキリスト者が召されていることだと言うのです。
聖書が私たちに教えている真理の一つは「祈り場」に奇跡が起こるということです。
真夜中の「祈り場」で地震が起こり、看守とその家族が信仰を持ちました。
神は「祈り場」を用いて御業を行われます。
力は神のものですが、祈りの特権がキリストを信じる者たちに与えられています。
キリスト者は天の現実をこの地に祈りによって解き放つエージェントです。