100年の時を刻む

関東大震災から今年でちょうど100年。

メモリアルな年ということで特集が組まれ、白黒の写真がカラーで蘇り、より鮮明になった震災の被害の大きさに言葉を失いました。

そのような中でも復興に向かう人々の姿の傍に米国赤十字の多大な協力があったことを初めて知りました。

赤十字社は現在でも災害地や紛争地、貧困の現場で救護活動に尽力していることは有名ですが、その始まりが一人のスイス人クリスチャンであることを恥ずかしながら最近知りました。

「人類は皆兄弟」とは彼の言葉だそうです。

差別と貧困に苦しむ当時フランスの植民地だったアルジェリアの現状に衝撃を受け、農場の支援など多方面で活動しながら宣教にも力を注ぎ、ジュネーブYMCAとYMCA世界同盟を設立し、キリスト教団体の連携協力の基礎を築きました。

弱い立場の人々の側に立つことを生涯を通して貫いた信仰者の姿に、今月末バングラデシュ宣教と支援に向かう4名(小山牧師、嗣音兄、梶山牧師、大塚牧師)の姿を重ねています。

破れ口に立つ尊い働きのため祈りとご支援をどうぞよろしくお願いします。

(小山晶子牧師人)

ヘブル 2:10-18

「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」(2:14,15)

神のひとり子、イエス・キリストがどうして人となって十字架にかかり、死ななければならなかったかがここでまとめられています。

悪魔は死の力を持っていました。

そのため、人は死の恐怖のゆえに不安に縛られて生きていました。

イエス様はその状態から人々を解放するため、十字架で死なれました。

悪魔の力はイエス様の十字架の死によって滅ぼされました。

ですから、今、イエス様を信じる者は、死の恐怖から解放されています。

これだけが、一生涯死の恐怖の奴隷となっている人間を救い出す方法だったのです。」(15節LB)

今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう!

ヘブル 2:1-9

「こういうわけで、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなければなりません。」(2:1)

どんなに信仰生活が長くても、聖書のメッセージをしっかりと心に留めることを怠るようになると真理から離れて漂流することになります。

ここでは、モーセの律法とイエス・キリストの福音が比較されています。

モーセの律法は天使を通して語られました。

しかし、イエス・キリストの福音は、神の御子、イエス様が自ら直接語ってくださいました。

モーセの律法に従わなかった人たちは罰せられました。

そうであれば、なおさらのこと、イエス様の救いの福音を無視した人たちは、罰を逃れられるはずはありません。

ブルース教授は言います。

「福音の真理と教えを軽く取り扱ってはなりません。それは最も重要であり、いのちと死の問題とも直結しています。」

ヘブル 1:1-14

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。」(1:3)

「神の本質の完全な現れ」の「現れ」と訳された単語は、英語の「キャラクター」の語源となった単語で、刻印、彫ってできた型、印という意味があります。

父なる神の本質と栄光が、子なる神の人間としての性質に正確に再現されたということです。

神は長い間、いろいろな形でご自身を現されてきましたが、今や、正確な現れを与えられたと言います。

聖書の歴史の全体は、イエス様を頂点にして読むようにできているということです。

だから、私たちは信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さないようにと言われています。