エペソ 4:7-16

「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」(4:11,12)

「キリストのからだ」、それは「教会」です。

「教会」を建て上げることは、聖書が命じていることです。

「なぜこのように、それぞれに賜物が与えられたのでしょうか。それは、神の民となった人々が、神のためによりよく働けるよう整え、キリストの体である教会を、力にあふれた、完成した状態へと建て上げるためです。」(12節LB)

それぞれに賜物が与えられている理由は教会を建て上げるためだと言います。

「神の国」をこの地に輝かせる、天で行なわれているように、地でも行なわれている神の働きに参与するために、私たちは整えられる必要があります。

赤福餅

みなさま赤福餅はお好きですか?

柔らかなお餅と甘さ少し控えめなこし餡。

一口でパクリと食べればもう、思わず微笑んでしまう美味しさです。

そんな赤福餅の出来立てを味わえる数少ない場所の一つが、新東名高速御在所サービスエリアなのです。

今回母教会での奉仕を終え横浜に戻る途中、数年ぶりに立ち寄ることができました。

わたしは赤福餅と抹茶のセット、英児先生は赤福餅ぜんざい。

出来立ての赤福餅は安定の美味しさですし、赤福餅ぜんざいは小ぶりで焼きたてのお餅が2つ入っていて、秋が深まってきた今の季節にぴったり。

ここでようやく一息着くことができました。

江戸時代の御茶屋さんのような店内で美味しいものをいただきながらの休息。

神さまの恵みに感謝しながら過ごす10分間は自宅に戻るためのエネルギーを与えてくれました。

みなさまはどのような1週間を過ごしましたか。

一息つく時間はありましたか?

礼拝は神さまの前に出てほっと一息つく時間でもあります。

恵みを数えつつ心を整えていきましょう。

きょうみなさまと共に主に礼拝をお捧げできることを楽しみにしています!
 (小山晶子牧師婦人) 

エペソ 4:1-6

「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」(4:1)

この手紙をエペソの教会に書いた時、パウロは牢獄に入れられていました。

今も、信仰のゆえに、牢獄に入れられているクリスチャンが世界中にいます。

イエス・キリストの福音は、それほど貴いものです。

ジョン・ウェスレーはこんなことを言いました。

私は、死なんとするものが死なんとする者に語るように、二度と語ることができないかのように、説教する。

パウロの心境はまさに、そんな所だったと思います。

「召された」は、英語で「Calling」と訳すように「呼ばれた」という意味があります。

何に「呼ばれた」かと言いますと、イエス・キリストを、よみがえりの主、王として信じるように呼ばれました。

「その召しにふさわしく」とあるように王なるイエスに忠誠を尽くすように召されています。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

エペソ 3:14-21

「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(3:19)

「人知をはるかに超えたキリストの愛を知る」ということは、「人間が知ることができないものを知ることができるように」ということですから、ある意味、矛盾した表現です。

しかし、こうも考えることができます。

「キリストの愛」が私たちの理解を超えているという事実を、単なる「知識」としてではなく「体験的に」知って欲しいとパウロは祈っていると。

ある神学者(バルト)がこんなことを言っています。

「神の啓示は、不思議を根絶するよりもむしろ、恐れと敬意を創る。・・・理解された神というのはいつも、偶像である。」

そもそも、私たちの頭で理解できるような神は本物ではないと。

「知識」としてではなく「体験的に」キリストの愛を知ることができますように。

エペソ 3:1-13

「これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、」(3:10)

今日の箇所は、キリスト教会がなぜ存在しているかを力強く宣言しています。

キリスト教会は、今まで隠されていた奥義でもある「神の豊かな知恵を示すため」に存在していると言います。

「教会の存在を通して」神の豊かな知恵は、この世界に示されると言うのです。

「教会」に与えられている可能性は、私たちの理解を超えています。

NTライトは、教会は「すべての肌の色、すべての社会的、文化的背景の、男、女、子どもたちが、喜びをもって集り、唯一まことの神を礼拝する共同体(コミュニティ)」のことだと言います。

つまり、多様な人たちが共に集り、唯一まことの神を礼拝する地域教会の存在は、神の豊かな知恵を示すというのです。

こういうことです。神の知恵は、その非常な多彩さにあって、支配者たちや天上の権威者たちに教会を通して知らされた。」(KNT)

エペソ 2:11-22

「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」(2:14-16)

この箇所の主語はキリストです。

キリストこそが、平和そのものであるということです。

具体的にキリストは、三つのことをしました。

一つは、両者、異邦人とユダヤ人を一つにしました。

二つ目は、隔ての壁を打ち壊しました。

三つ目は、敵意を廃棄されました。

敵意の説明として「律法」が言及されますが、これは当時のユダヤ人たちが、「ユダヤ人」と「異邦人」を区別するために利用していたからです。

こうしてキリストは「新しい一人の人」、「教会」を形成されました。

エペソ 2:1-10

「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」(2:10)

「神の作品」という意味は、私たち一人一人は、神の指紋がついている、神にとってかけがえのない存在であるということです。

そして、私たち一人一人、造られた目的があるという意味です。

ある学者が、この「神の作品」というのを「楽器」と考えるといいと言います。

楽器は見るものではありません。

実際、楽器というものは奏でていないと、音は劣化し、本体も壊れてしまいます。

私たちも、この地上に奏でられるために存在しています。

私たちはただ、神の恵みによって救われます。

そして、神の恵みの御手の中で生きます。

楽器は自分の力で奏でることはできません。

奏でていただく必要があります。

エペソ 1:15-23

「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(1:23)

二つのポイントがあります。

まず、キリストがどういうお方か。

キリストは「すべてのものをすべてのもので満たす方」だと言います。

すべてのものをすべてのもので」というのは、「すべてのことを、あらゆる方法で」(all things in every way)という意味です。

どんなものでも、どんなやり方でも、満たし続けるお方であるということです。

私たちは、満たされる必要があります。

人は、満たされる必要があります。

イエス・キリストだけが、「すべてのことを、あらゆる方法で」満たしてくださるお方です。

二つ目のポイントは、教会の状態です。

教会は、このキリストが、「満ちておられるところ」です。

それは、リビングバイブルが訳しているように、「キリストの霊が満ちあふれるところ」です。

聖霊なる神様が満ち溢れるところ、それが教会です。

エペソ 1:1-14

「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」(1:3)

神は私たちを「キリストにあって」祝福してくださったと言います。

「キリストにあって」とは、「キリストの中で」という意味です。

神は「天地万物を造られた方」であると同時に、「イエス・キリストの中」で祝福される神です。

聖書の神は、父なる神、子なる神キリスト、聖霊の三位一体なる神です。

私たちは「キリストの中」で祝福されます。

イエス・キリストとの親しい関係の中で祝福されるのです。

イエス・キリストの臨在の中で祝福されます。

神の約束のすべては、キリストの中で成就したからです。

あらゆる祝福をもって祝福する神は、イエス・キリストの中に、その祝福を解き放たれます。

オイルショック

わたしが生まれた1973年。この年の10月6日、第四次中東戦争が勃発しました。

この日はユダヤ教の祭日であり休日でもありましたから、エジブトとシリアから奇襲を受けたイスラエルは非常に苦戦しましたが、予備役部隊やアメリカの支援もあり停戦へ向かいました。

遠いイスラエルでの出来事の影響はオイルショックとして日本にも波及し、人々がトイレットペーパーを買い漁るという混乱状態に陥りました。

あれからちょうど50年となる今月7日。

イスラエルはテロ組織ハマスからの奇襲攻撃を受け、現在地上戦は避けられない状況との見方が大多数、非常な緊張状態が続いています。

戦闘がこれ以上拡大することがないように。

イスラエルとガザ地区の一般住民の命が守られるように。

イスラエル国内にいるアラブ系のイスラエル人たちがテロ行為に加わることがないように。

日本人が反ユダヤ的論調の影響を受けることがないように。

そして平和が速やかに回復されるように。「人間の義はみな不潔な着物のようだ」との聖書のみことばがずっと頭の中を巡っています。

破れ口に立ち、心を合わせて祈りましょう。

(小山晶子牧師婦人)