箴言 11:16-31

「おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。」(11:25)

リビングバイブルでは今日の箇所をこう訳しています。

物惜しみしない人が裕福になります。人を潤すことで、自分も潤うのです。

寛大に生きることは、聖書的な生き方です。

聖書に、こういう箇所もあります。

気前よくささげる人は、大きな祝福を受ける。」(Ⅱコリント9:6現代訳)

与える人は与えられるというのが聖書が教える霊的な法則です。

もちろん、献金の話だけではなく、笑顔や祝福などを惜しみなく人々に与えている人が、大きな祝福を受けます。

なぜなら、「気前よく与える」というのは、神のご性質でもあるからです。

神は、物惜しみすることなく、私たち一人一人に今日も寛大に与え、私たちを潤してくださっているからです。

「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイ5:45)

箴言 11:1-15

「直ぐな人の祝福によって、町は高く上げられ、悪しき者の口によって、破壊される。」(11:11)

私たちの人生は、自分の家族や自分のコミュニティだけでなく、自分の町、自分の国にも影響を与えます。

11節をリビングバイブルではこう訳しています。

「神を信じる市民が良い影響を与えているうちは町は栄え、悪者たちによって道徳が腐敗すると、町はたちまち衰えます。」

具体的に箴言が教えることは、「人を中傷して回る者」(12節)は愚かです。

賢い人は不必要なことは話しません」(LB)と言います。

もちろん、それは今話題のSNSも含まれると思います。

信頼できる人はうわさ話を口にしません。」(13節LB)

いずれにせよ、

「人に親切にすると心が豊かになり、思いやりのないことをすると気持ちがすさみます。」(17節LB)

「悪いことをしてもうけた金はすぐになくなり、正しいことをして得た報酬はいつまでも残ります。」(18節LB)

箴言 10:17-32

「人を富ませるのは主の祝福。人の苦労は何も増し加えない。」(10:22)

自分が苦労して富を築き上げてきたと自負する人は、貧しい人は苦労が足りなかったから貧しいのだと見下げる傾向があります。

そして、自分が苦労して得た富だと自負しているので、その富を人と分かち合うことは考えません。

しかし、謙遜に、主が祝福してくださったがゆえに富を築けたと考える人は、分かち合うことを喜びとします。

主を恐れるがゆえに富を分配し、祝福の基となります。

そもそも神が私たちを祝福される理由は、私たちが祝福の基となるためです。

聖書は言います。

「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(1ペテロ3:9)

私たちは、神のすべての良きもの、神の祝福を受け継ぐために召されています。

箴言 10:1-16

「不義によって得た財宝は役に立たない。義のわざは人を死から救い出す。」(10:2)

十章からは「ソロモンの箴言」とありますが、テーマに沿ってと言うよりは、ランダムに箴言が収集されています。

それぞれ、選択肢は明確です。

知恵か愚かさか、善か悪か、いのちか死か。

選択するのは私たちであり、選択に伴う結果があります。

2節をLBは、こう訳しています。

「悪いことをしてもうけた金はすぐになくなります。どこまでも正しく生きることが幸福のかぎです。」

その理由は3節にあります。

「正しく生きている人を、主は飢えさせません。悪人は、せっかくもうけた金を主に取り上げられます。」(LB)

これが霊的な原則です。

神はご覧になっておられます。

ですから、たとえ今、悪人がもうけているように見えたとしても、主に信頼し、正しく生きるように心がけましょう。

主は必ず祝福してくださいます。