大晦日

今年は珍しい。12月31日が日曜日なんて。

きょうが今年最後の日ですが、新しい年を迎える準備はもうできましたか。

この一年を振り返る時間もないままに新年を迎えるということがないようにしたいものですが、どんどん速くなってゆく時間の流れに少々戸惑っています。

この一年、何ができたんだろう。

神様の御心を第一に歩めただろうか。

振り返ろうとしても忘れてしまっていることも多くて。

しかも正直なところわたしの心は様々な状況の中で不安、恐れ、落ち込みの中にあります。

いつも喜び絶えず祈り全てに感謝することが難しい中で、葛藤しながら過ごしています。

こんな時は「聴くドラマ聖書」を流しながら詩篇77篇11節-12節を実践するのが一番。

『私は、主のみわざを思い起こそう。
 まことに、昔からの
 あなたの奇しいわざを
 思い起こそう。
 私は、あなたのなさった
すべてのことに思いを巡らし、
あなたのみわざを、
静かに考えよう。』

(小山晶子牧師婦人)

箴言 31:11-31

「麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」(31:30)

ヘブル語で知恵(ホクマ)は女性形です。

それで箴言31章に出てくる女性は知恵を擬人化したものと考えられます。

「主を恐れることは知識の初め。」(1:7)

「主を恐れることは知恵の初め」(9:10)

とあるように、「主を恐れること」と「知恵」は同義語です。

「知恵」は誠実な妻であり、この世界を家とし、私たちの日常生活で働くことを欲っしています。

「知恵は自分の家を建て」(9:1)

ます。知恵は言います。

「だから、わたしのことばに聞き従いなさい。わたしの命令を守ることが幸福のかぎなのだから。」(8:32LB)

「わたしを熱心に捜す者は、わたしを見出す。」(8:17)

と言いますが、どこを探せばいいのでしょうか。

聖書は言います。

「キリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(コロサイ2:3)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

箴言 31:1-9

「レムエルよ、これは王がすることではない。ぶどう酒を飲むのは王がすることではない。強い酒を飲むのは君主がすることではない。」(31:4)

31章は「マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば。」、いわゆる帝王学です。

「王」という単語をメッセージ訳は「リーダー」と訳しています。

リーダーがいつも酔っ払っていたら、ついていく人々は苦しむというのは、いつの時代も真理です。

ですから聖書は言います。

「酒を飲みすぎてはいけません。そこには多くの悪が潜んでいるからです。むしろ、御霊に満たされ、支配していただきなさい。」(エペソ5:18LB)

確かに、歴史の中でも多くの人たちが酒にまつわる失敗を冒してきました。

この問題への対処法として、聖霊に満たされることが挙げられていることは注目に値します。

聖霊様に支配していただくことが様々な悪から私たちを守ってくれることとなります。

箴言 30:15-33

「もし、あなたが高ぶって、愚かなことをしたり、企んだりしたら、手を口に当てよ。」(30:32)

自惚れている人は、神の御力に頼ることなく自分の力に頼るので、自らを高めるために愚かなことをしてしまいます。

「得意になって悪いことをするのは愚か者です。少しは恥ずかしいと思うべきです。」(LB)

自惚れないための処方箋は、自らを高めることに心を向けるのではなく、イエス・キリストを高めることに心を向けることです。

いつもイエス・キリストの御名が高められるように献身していく時に、良いものがそこから生まれます。

「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(1ペテロ5:6)

高ぶる思いがあるなら、手を口に当て、静まり、へりくだる時も大切です。

恥は我がもの、栄光は主のものです。

箴言 30:1-14

「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。」(30:7-9)

人は思い上がっている時に神の存在を否定します。

神の存在を認める時、人はへりくだり、祈りに導かれます。

「私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。」(1テモテ6:6-8)

箴言29:15-27

「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。しかし、みおしえを守る者は幸いである。」(29:18)

「幻」と訳された単語(חָ֭זוֹן)が預言者が見る「幻」に用いられる単語なので、「預言的な幻」と訳されることがあります。

それで、「神の啓示」、すなわち聖書の御言葉なしでは暴走すると言う意味と理解します。

それで

しかし、みおしえを守る者は幸いである。

と続きます。

メッセージ訳では前半部分をこう訳します。

「もし、人々が神のなされていることを見ることができないならば、彼らはつまずいてばかりだ。」

私たちは神の御言葉、神の御業に焦点を合わせる必要があります。神のみこころを求めないならば人は好き勝手にふるまい、結局、つまずいてばかりです。

使徒パウロは言いました。

「私は天からの幻に背かず、… 宣べ伝えてきました。」(使徒26:19,20)

天からの幻、聖書の御言葉に生きることができますように。

箴言 29:1-14

「正しい人は弱い者のためのさばきを知っている。悪しき者はそのような知識をわきまえない。」(29:7)

聖書が言う「義人」は、貧しい人の権利を認める人です。

神を信じない者は気にもかけません。」(LB)

神を信じているならば、一人一人が偶然この世界に存在しているわけではないことを理解しているはずですから、弱い立場の人の存在を理解しようとするはずだと言うことです。

それで、

「正しいことをする王はしっかり治め、わいろを要求する王は国を滅ぼします。」(4節LB)

私たちは、

調子のいいお世辞は罠」(5節LB)

であることや、

愚か者と言い争ってもむだです。相手はかっとなり、感情をむき出しにして、こちらをさげすむだけです。」(9節LB)

ということを知っておく必要があります。

愚か者はけんかの種をまき散らし、知恵のある人は事を丸くおさめます。」(8節LB)

ルカ 2:25-38

「あなたが万民の前に備えられた救いを。」(2:31)

「万民の前に備えられた救い」というのは、「すべての人のための救い」という意味です。

キリスト教は、残念ながら「西洋の宗教」という人がいます。

しかし、オックスフォードのアリスター・マクグラス教授はこう指摘しています。

「二〇世紀の間に、キリスト教の中心は南に移っており、今では開発途上国にある。第三世界から批判的に見れば、西洋キリスト教はキリスト教世界が西洋中心にまわっているごとくに振舞っているが、それは誤りであると分かるのだ。」

西洋の牧師たちも、「西洋人は、本を出版することは上手だが、今は、アジアやアフリカ、ラテン・アメリカの教会から学んでいる」と言っています。

つまり、キリスト教は「西洋の宗教」ではありません。

イエス・キリストの救いは、すべての人のためなのです。

今年もあと7日

クリスマスおめでとうございます。

12月24日が日曜日になったので、きょうはクリスマス特別礼拝、食事会、キャンドルサービスが一度に行われるという珍しい一日。

特にキャンドルサービスは午後6時からですので皆さん無理のない範囲でご参加くださいね。

ところで今年も残すところあと7日となりました。

来週は12月31日大晦日。

そして2024年1月1日の元旦礼拝(13:30から)へと続きます。

今年もいろんなことがありましたね。

コロナ禍から少しずつ日常に戻ることができて感謝でした。

特に2023年の後半は岩渕まことさん由美子さんコンサート、HOP訪問、オープンチャーチ、健爾兄お別れバーベキュー、クリスマスマーケット、その合間にリラコンサートが。

今日のキャンドルサービスで一区切りかなと思っています。

主の憐みの中で「弱い時に強い」というパウロの言葉を追体験する日々でもありました。

我が家としては今年は「勇児の引っ越しで始まり勇児の引っ越しで終わった」感もありますが、新年礼拝からまたこちらにおりますのでどうぞよろしくお願いします。

(小山晶子牧師婦人) 

ルカ 2:1-14

「御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(2:10,11)

「この民」はイスラエルの民のことを指していると思われますが、全世界に影響を与えるヘレニズム時代の告知と呼応していますので、より広い世界が示唆されています。

要するに、すべての人に与えられた喜びの知らせということです。

その喜びの知らせとはこれです。

「今夜、ダビデの町(ベツレヘム)で救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(LB)

イエス・キリストは神の御子、救い主です。

今日は主の日。クリスマス。共に主に礼拝を捧げましょう!