「判決の谷には、群衆また群衆。主の日が判決の谷に近づくからだ。」(3:14)
聖書は、人は一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっていると言います。
人は皆、神の御座の前に立つ時が来ます。
聖書は言います。
「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。」(黙20:12)
その裁きの日、審判の日がまだ来ていないのは、神がひとりも滅びることを望まないからだと言います。
「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。」(2ぺテ3:9,10)