1列王記 1:28-37

「私がイスラエルの神、主にかけて、『必ずあなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に就く』とあなたに誓ったとおり、今日、必ずそのとおりにしよう。」(1:30)

ダビデ王は、人生の中で多くの失敗を犯しました。

愚かなことを何度もしてきました。

しかし、彼は神のことばに耳を傾けることができました。

神はダビデに言いました。

「見よ、あなたに一人の男の子が生まれる。彼は穏やかな人となり、わたしは周りのすべての敵から守って彼に安息を与える。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与える。」(1歴22:9)

ダビデは神のみことばを思い出し、神のみことばに従って行動を起こしました。

神のみこころに最後まで従い続けるダビデの姿に、

「神の心にかなった者」(a man after God’s own heart)(使徒13:22)

と呼ばれた理由があるのだと思われます。

1列王記 1:11-27

「そこで、ナタンはソロモンの母バテ・シェバにこう言った。「われらの君ダビデが知らないうちに、ハギテの子アドニヤが王になったことを、あなたは聞いていないのですか。」(1:11)

ナタンは、ソロモンが王となることを預言した預言者です。(2サムエル12:25参照)

この時も、神から直接導きがあったのかもしれませんし、もしかしたら、神のみこころを知っている者として、みこころを行わないわけにはいかないと行動したのかもしれません。

イエス様は

「みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」(マタイ6:10)

と祈るように教えられました。

それは、神のみこころをこの地で行う者として生きることを意味しています。

神のみこころがこの地でも行われるように、知恵を尽くして、協力していく姿勢を、私たちも学ぶ必要があります。

1列王記 1:1-10

「ときに、ハギテの子アドニヤは、「私が王になる」と言って野心を抱き、戦車、騎兵、それに自分の前に走る者五十人を手に入れた。」(1:5)

「野心を抱き」と訳された単語は、聖書協会共同訳が「思い上がり」と訳しているように、高ぶったという意味です。

サウル王も、ダビデ王も、神が選び、預言者サムエルを遣わして油を注ぎました。

ところがアドニヤは、神の御心を求めたのではなく、自分がふさわしいはずだと軍団長のヨアブと大祭司のエビヤタルと相談してことをはかります。

それには、預言者ナタンやダビデの勇士たちはくみしませんでした。

つまり、アドニヤの行動は、神の主権を侵す行動だったのです。

聖書は明確に言います。

「「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(1ペテロ5:5,6)