1列王記 13:11-24

「神の人の後を追って行った。そして、その人が樫の木の下に座っているのを見つけると、「ユダからおいでになった神の人はあなたですか」と尋ねた。その人は「私です」と答えた。」(13:14)

ユダから来た「神の人」は、神の言葉に従順して勇敢にヤロブアムに裁きを告げました。

しかし、使命を果たした後、「私もあなたと同じく預言者です」と告げた年老いた預言者に心を許してしまったため、その言葉にだまされてしまいました。

時として、一番の誘惑はリラックスしている時に起こります。

気を緩めた時に、神の御言葉に対する献身まで緩めてしまうのです。

イエス様は言われました。

「しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」(ルカ21:36)

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

1列王記 13:1-10

「そこで、王はこの神の人に向かって言った。「どうか、あなたの神、主にお願いして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手は元に戻るでしょう。」神の人が主に願ったので、王の手は元に戻り、前と同じようになった。」(13:6)

自らが作り出した宗教の祭壇に香をたこうとしている時に、一人の神の人がやってきました。

神の人はヤロブアムが勝手に作った祭壇を断罪します。

その言葉を聞いたヤロブアムは怒ります。

「王は真っ赤になって怒り、護衛兵に、「この男を捕まえろ!」と大声で命じ、こぶしを振り上げました。そのとたん、王の手は麻痺して動かなくなり、 同時に祭壇に大きな裂け目ができ、灰がこぼれ出ました。確かに主のことばどおりになったのです。」(4,5節LB)

神の力を体験したヤロブアムは癒しの祈りを神の人に求め、驚くことに彼は自分を殺そうとしたヤロブアムのために祈り、神は彼を癒します。

神の恵みは計り知れません。

1列王記 12:21-33

「このことは罪となった。」(12:30)

この後、聖書はヤロブアムの罪という言及が繰り返されます。

神はヤロブアムに約束しました。

「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える。」(11:38)

しかし、彼は神の約束を信じることができず、自分で問題を解決しようとします。

ヤロブアムは神を恐れずに、自分で神々を作り、自分で祭司を任命し、自分勝手に考え出した日にいけにえを捧げます。

このように神のやり方ではなく、人々の関心を買うために自分のやり方で作り出した信心を「宗教」と呼びます。

そういう意味では、キリスト教は「宗教」ではなく、生ける神との「関係」です。

1列王記 12:12-20

「王は民の願いを聞き入れなかった。かつて主がシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、主がそう仕向けられたからである。」(12:15)

私たちは歴史の表面的な部分だけで判断しやすいところがあります。

長老の助言に耳を傾けなかったレハブアム王の愚かな判断ばかりに目がいってしまいます。

実際、レハブアム王の傲慢な態度を見て、民は離れて行きます。

結果的に、ユダの部族以外はレハブアム王に従うことはなくなります。

このようにして、イスラエルの国は北と南に分裂します。

ところが聖書は、分裂王国の根本的な問題はソロモン王の背信行為だったと言います。

「主がそう仕向けられたからである」と言います。

次世代の愚かな判断の背後に、前の世代の愚かな行動があるというのならば、私たちは皆、へりくだって神の憐れみを求めることから始める必要があるのではないでしょうか。

1列王記 12:1-11

「レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに、「この民にどう返答したらよいと思うか」と相談した。」(12:6)

ソロモン王の息子、レハブアム王は41歳(14:21)で王となりました。

民の要求に関して、レハブアム王は三日待つように告げましたが、その間に祈りに神殿に行ったというような記述はありません。

それよりも、彼は相談したと言います。

神の御声ではなく、長老たちに、そして、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちに相談しました。

レハブアム王が長老たちの助言を退けたのは、彼が望んでいた助言ではなかったからだと考えられます。

聖書は忠告します。

「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。」(2テモテ4:3,4)