「エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう言われる。『わたしはこの水を癒やした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」」(2:21)
エリコの町の人々は新しい神の器であるエリシャのところに来て、エリコの悪い水を癒して欲しいと問題を告げました。
それでエリシャは神のみこころを行います。
投げ込んだ「塩」は象徴的な意味だと思われます。
大事な点は「わたしはこの水を癒やした。」という主の言葉の宣言です。
なぜなら、エリコはヨシュアが呪いを宣言していた場所だったからです。
「ヨシュアは、そのとき誓った。「この町エリコの再建を企てる者は主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」」(ヨシュア6:26)
ですから、エリシャの神の言葉の宣言はヨシュアの呪いを無効にする宣言でした。
イエス様の十字架も私たちを呪いから贖い出すためでした。(ガラテヤ3:13参照)