2列王記 7:11-20

「侍従は神の人に答えて、「たとえ主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と言った。そこで、エリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」と言った。そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。」(7:19,20)

不信仰が支払う値は悲劇です。

王の側近は、エリシャの預言が実現したことを見るのですが、その祝福を味わうことはできませんでした。

エリシャが求めたのはただ一つ、

「主のことばを聞きなさい。」

だけでした。

ところが、このイスラエルの王の側近は、自分の考えで神のことばを無にしてしまったのです。

イエス様は言われました。

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

私たちの神は

「私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」(エペソ3:20)

です。

神は私たちが知らないところから、それをもたらすことができるお方です。

2列王記 7:3-10

「われわれのしていることは正しくない。今日は良い知らせの日なのに、われわれはためらっている。もし明け方まで待っていたら、罰を受けるだろう。さあ、行こう。行って王の家に知らせよう。」(7:9)

エリシャが主の言葉を語った時、神は驚くことをされていました。

シリアの陣営に軍勢が攻め寄せる音を聴かせたので、彼らは何もかも置き去りにして逃げました。

そのことをイスラエルの人たちは知りませんでした。

王も側近も知りませんでした。

目の前にあふれるほどの食料があるのにも関わらず、人々は町の中で飢えていたのです。

彼らを救うために用いられたのは町の外に住まなければならなかったツァラアトに冒された4人でした。

彼らは最初、自分たちだけで飲み食いしていました。

しかし、途中で自分たちのやっていることに恐ろしくなります。

私たちもイエス・キリストの福音がどんなに良い知らせかを理解するならば、伝えずにはいられません。

2列王記 6:24-7:2

「エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう言われる。」(7:1)

普段はイスラエルの神を信じてもいないのに、問題が起こった時に、イスラエルの神のせいにしました。

そもそも、イスラエルの民が神を捨てた結果、このような災いを体験しているのにも関わらず、王は悔い改めるどころか、預言者エリシャのせいにして、エリシャの首をはねるように人を遣わします。

エリシャはその使者に明日の今頃は状況が回復することを伝えます。

しかし、使者は神の言葉を聞かず、自分が考えられる範囲で不可能なのだから、神にも不可能と言います。

カルバリ―チャペルのチャック・スミス先生はこのように言います。

「不信仰は、あなたが神の祝福を楽しまないようにさせる」

エリシャが

「主のことばを聞きなさい。」

と言ったように、私たちは聖書のみことばを聞く必要があります。

不信仰は、キリストにある豊かな人生を持てないようにするからです。

2列王記 6:15-23

「すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。」(6:16)

シリアの王は、戦略を見抜く預言者エリシャを捕まえるために馬と戦車と大軍を彼の町に送り、包囲させました。

それを見た若者はエリシャに言います。

「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう。」

それに対して、エリシャは言います。

「恐れるな。私たちの軍勢は彼らよりも多く、強いのだから。」(16節LB)

そして、エリシャは祈ります。

「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」

神が彼の霊の目を開かれたので、火の馬と火の戦車がエリシャたちを取り巻くように山に満ちているのが見えました。

私たちもこの若者のように恐れることがあります。

だからこそ、この若者のように、霊の目が開かれるように祈る必要があります。

聖書は言います。

「あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。」(1ヨハネ4:4)

2列王記 6:1-14

「神の人は言った。「どこに落ちたのか。」彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切ってそこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。」(6:6)

預言者エリシャの働きは拡大し、彼と一緒にいる仲間たちの数が増えました。

それで、ヨルダン川の近くに新しい場所を建てることになりました。

「ところが、木を切っていた一人が斧の頭を川に落としてしまったのです。「先生、大変です。あの斧は借り物なのです。」」(5節LB)

神のために働いているのに、どうしてこんなことが起こるのだろうと思うことが起こったりします。

しかし、エリシャが一本の枝をそこに投げ込むと、重い斧の頭を浮かばせました。

要するに奇跡が起こったのです。

これは、神が確かに今も生きて働いておられることを示しました。

彼らを励ましたに違いありません。

マイナスは必ずプラスになります。

主の御名を呼び求めましょう!