ネヘミヤ記 3:1-14

「こうして大祭司エルヤシブは、その仲間の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、扉を取り付けた。そしてメアのやぐらのところまで聖別し、ハナンエルのやぐらにまで及んだ。」(3:1)

エルサレムの城壁の再建の先頭に立ったのは、大祭司とその仲間の祭司たちでした。

リーダーは模範となる必要があります。

彼らが率先して模範を示したことが、大きな力となったことは言うまでもありません。

城壁の再建は、一人でできることではありません。

協力する必要があります。

キリストのからだを建て上げることも同じです。

一人でできることではありません。

主にある兄弟姉妹たちが協力する必要があります。

「この良い仕事に着手した」人しか分からない祝福の世界があります。

神の御国のために労苦した人しか分からない世界があります。

「あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(1コリ15:58)

ネヘミヤ記 2:11-20

「そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。」(2:18)

ユダヤ人の心を動かしたのは、ネヘミヤの信仰の証でした。

しかし、彼はその前に、現状をその目で確認しました。

目の当たりにした悲惨な現状は、彼の信仰を揺るがすことはありませんでした。

彼の信仰の証は現実を見据えた上だったので説得力があったのだと思われます。

不可能と思えた状況の中で、王が許可をしてくれたという彼の信仰の証は、人々に新しい力を与えたと思われます。

イエス様は言われました。

「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:26)

「神様としか言えない」信仰の証は、人々の心を動かし、良い仕事に着手する動機づけとなります。

ネヘミヤ記 2:1-10

「私は天の神に祈ってから、王に答えた。」(2:4,5)

神は私たちの祈りを用いられます。

どんな小さな祈りでも、どんな短い祈りでも、神は用いてくださいます。

ただし、神の答えはいつも私たちの願い通りとは限りません。

イエス様は言われました。

「天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」(マタイ7:11)

イエス様は求めた通りに与えてくださるとは言いませんでした。

「良いものを与えて」くださると言われたのです。

それは、時には「この時ではない」、「待ちなさい」ということもあると思います。

しかし、そうであってもイエス様は言われました。

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(7:7,8)

ですから、まず「祈ってから」はじめましょう。

お米がない

令和の米騒動とでもいうべきでしょうか。

報道では知っていましたがどこに行っても米が売られていないという事態に遭遇し流石に少し焦りました。

コストコにもロピアにもエイビーにもサンドラッグにも、棚に米袋が一つもないなんて、こんな経験初めてです。

マリーアントワネットは「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言ったとか言わないとか。

わたしもお米がないなら小麦粉で主食を確保するしかないと思いせっせとベーグルを焼いております。

ところで今日から9月。

今年もあと4か月となりました。

とにかくこの異常な暑さを乗り切ることができ感謝ですが、夏の疲れが出てくる時期でもあると思います。

皆さまの日々が守られますよう祈ります。

わたしたちを健やかにする日々の糧はとても大切。

身体のために必要な食物だけでなく、霊の糧も毎日きちんといただきましょう。

クリスチャンが日々の霊的な糧である聖書の御言葉を頂かないと信仰生活は栄養失調となってしまいます。

もし信仰生活がバテていると感じているなら、霊的な食生活を改善することも必要です。

 (小山晶子牧師夫人)

ネヘミヤ記 1:1-11

「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。」(1:5)

ネヘミヤは祈りの人でした。

エルサレムの悲惨な状況を聞いた彼は祈りました。

解決策を考える前に、助けてくれる人を探す前に、誰かと相談をする前に、神に祈りました。

彼は誰に祈っているかをよく知っていたからです。

だから、まず何よりも神の力と偉大さを宣言しました。

「ああ、主なる神様。あなたを愛し、あなたに従う者に対して約束されたことを果たし、愛と思いやりを示してくださる、畏れかしこむべき神様。どうか、この祈りをお聞きください。」(LB)

私たちが祈る神は、

「約束されたことを果たし、愛と思いやりを示してくださる、畏れかしこむべき神様」

です。

このお方は私たちの祈りを用いて御業を行われます。

祈りに導かれることはすべて良いことです。

今日は主の日。共に主なる神に礼拝を捧げましょう!