「さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。」(20:1)
「週の初めの日」とは、日曜日のことで、キリスト教会が日曜日に礼拝する理由が、ここにあります。
つまり、イエス・キリストが復活された日を「主の日」として覚え、私たちは日曜日に礼拝しているのです。
イエス・キリストが復活されたのが歴史的事実であるがゆえに、今も世界中で、日曜日に礼拝が捧げられています。
イエス・キリストは、死の力を打ち破り、よみがえられ、今も生きておられます。
イエス・キリストは、
「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:20)
と約束されました。
ですから、よみがえられたイエス・キリストは、私たちのただ中におられます。
たとえ、私たちの肉眼では見えなくても、「ここにおられる」というイエス様の臨在を、私たちは感じることができます。