明けました?

 ああ、暑い。なんという暑さじゃ、、、

少し前にようやく梅雨入りしたはずなのに、もう、梅雨明けですか?という夏空。

数日前、幻聴かと思ったら本当に蝉が鳴いていました。

救急車の行き交う音も急に増えてきて、ああきっと熱中症だろうなとつい思ってしまうほどの尋常じゃない暑さに、本格的な夏を前に少々心が折れております。

みなさまご無事でしょうか。

近年は南の魚が東北の海で獲れるそうで、陸だけではなく海でも様々な異変が起きているそうです。

こんなに猛暑が続くならいっそ教会の広い屋根のスペースにソーラーパネルを置いたらどうかしらと真剣に考えてしまいます。

わたし自身数年前に熱中症に、しかも寝ている間になってしまった経験があります。

目眩と吐き気、身体の硬直が主な症状でしたが非常に怖かったです。

特に年齢を重ねると暑さの感覚が鈍ってきますので、自分の感覚を信じないで定期的な水分補給(スポーツドリンクが良いと思います)をしてくださいね。

今週も愛する兄弟姉妹の日々が守られますように、互いに祈りあい、支えあっていきましょう!

 (小山晶子牧師婦人)

2列王記 8:7-15

「さて、エリシャがダマスコに行ったとき、アラムの王ベン・ハダドは病気であった。すると彼に「神の人がここまで来ている」という知らせがあった。」(8:7)

ダマスコはアラム(シリア)の首都です。

どうしてエリシャがイスラエルからダマスコに行ったかは記されていません。

ただ、その知らせを聞いたアラムの王は、贈り物を持ってエリシャのところに行って、主なる神のみこころを求めるように告げます。

アラムの王に信仰があったかどうかは定かではありません。

しかし、エリシャがアラムの策略をことごとく妨害し、エリシャを捕らえようとした略奪隊を逆に捕らえて戻って行かせたことなど、エリシャを「神の人」と認識していたことは確かです。

私たちが理解すべきことは、神はイスラエルの国だけでなく、すべての人の神であるということです。

今日は主の日。共に主なる神に礼拝を捧げましょう!

2列王記 8:1-6

「この女は神の人のことばにしたがって出発し、家族を連れてペリシテ人の地に行き、七年間滞在した。」(8:2)

シュネムの女は神の人のことばに従って、ペリシテ人の地に行きました。

彼女は、神を恐れて、神の預言者を助けたので神の奇跡を体験しました。

彼女は飢饉を避けて安らかに生活することができました。

そして、イスラエルに戻ってくると、ちょうど、ゲハジが王に死人を生き返らせた出来事を話しているところでした。

彼女は王にそのことを話し、彼女は家と畑を取り戻しました。

神の御言葉に生きる人には、神が必ずすべてのことを働かせて益としてくださいます。

神のタイミングは絶妙です。

不思議な出会いを与えてくださいます。

不思議な機会を与えてくださいます。

2列王記 7:11-20

「侍従は神の人に答えて、「たとえ主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と言った。そこで、エリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」と言った。そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。」(7:19,20)

不信仰が支払う値は悲劇です。

王の側近は、エリシャの預言が実現したことを見るのですが、その祝福を味わうことはできませんでした。

エリシャが求めたのはただ一つ、

「主のことばを聞きなさい。」

だけでした。

ところが、このイスラエルの王の側近は、自分の考えで神のことばを無にしてしまったのです。

イエス様は言われました。

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

私たちの神は

「私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」(エペソ3:20)

です。

神は私たちが知らないところから、それをもたらすことができるお方です。

2列王記 7:3-10

「われわれのしていることは正しくない。今日は良い知らせの日なのに、われわれはためらっている。もし明け方まで待っていたら、罰を受けるだろう。さあ、行こう。行って王の家に知らせよう。」(7:9)

エリシャが主の言葉を語った時、神は驚くことをされていました。

シリアの陣営に軍勢が攻め寄せる音を聴かせたので、彼らは何もかも置き去りにして逃げました。

そのことをイスラエルの人たちは知りませんでした。

王も側近も知りませんでした。

目の前にあふれるほどの食料があるのにも関わらず、人々は町の中で飢えていたのです。

彼らを救うために用いられたのは町の外に住まなければならなかったツァラアトに冒された4人でした。

彼らは最初、自分たちだけで飲み食いしていました。

しかし、途中で自分たちのやっていることに恐ろしくなります。

私たちもイエス・キリストの福音がどんなに良い知らせかを理解するならば、伝えずにはいられません。

2列王記 6:24-7:2

「エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう言われる。」(7:1)

普段はイスラエルの神を信じてもいないのに、問題が起こった時に、イスラエルの神のせいにしました。

そもそも、イスラエルの民が神を捨てた結果、このような災いを体験しているのにも関わらず、王は悔い改めるどころか、預言者エリシャのせいにして、エリシャの首をはねるように人を遣わします。

エリシャはその使者に明日の今頃は状況が回復することを伝えます。

しかし、使者は神の言葉を聞かず、自分が考えられる範囲で不可能なのだから、神にも不可能と言います。

カルバリ―チャペルのチャック・スミス先生はこのように言います。

「不信仰は、あなたが神の祝福を楽しまないようにさせる」

エリシャが

「主のことばを聞きなさい。」

と言ったように、私たちは聖書のみことばを聞く必要があります。

不信仰は、キリストにある豊かな人生を持てないようにするからです。

2列王記 6:15-23

「すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。」(6:16)

シリアの王は、戦略を見抜く預言者エリシャを捕まえるために馬と戦車と大軍を彼の町に送り、包囲させました。

それを見た若者はエリシャに言います。

「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう。」

それに対して、エリシャは言います。

「恐れるな。私たちの軍勢は彼らよりも多く、強いのだから。」(16節LB)

そして、エリシャは祈ります。

「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」

神が彼の霊の目を開かれたので、火の馬と火の戦車がエリシャたちを取り巻くように山に満ちているのが見えました。

私たちもこの若者のように恐れることがあります。

だからこそ、この若者のように、霊の目が開かれるように祈る必要があります。

聖書は言います。

「あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。」(1ヨハネ4:4)

2列王記 6:1-14

「神の人は言った。「どこに落ちたのか。」彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切ってそこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。」(6:6)

預言者エリシャの働きは拡大し、彼と一緒にいる仲間たちの数が増えました。

それで、ヨルダン川の近くに新しい場所を建てることになりました。

「ところが、木を切っていた一人が斧の頭を川に落としてしまったのです。「先生、大変です。あの斧は借り物なのです。」」(5節LB)

神のために働いているのに、どうしてこんなことが起こるのだろうと思うことが起こったりします。

しかし、エリシャが一本の枝をそこに投げ込むと、重い斧の頭を浮かばせました。

要するに奇跡が起こったのです。

これは、神が確かに今も生きて働いておられることを示しました。

彼らを励ましたに違いありません。

マイナスは必ずプラスになります。

主の御名を呼び求めましょう!

TPKF大会

8月13日から15日まで滋賀県でTPKF大会が行われます。

対面では実に4年ぶり。

オンラインでの大会は継続して行われていましたが、コロナ禍以降できなかった行事にまた日常が戻って来ることを嬉しく思います。気づけば今日が参加申し込みの締切日。

教会で人数をまとめ、明日までに費用も振り込まなければなりませんので参加希望の方は今日中にお持ちくださいませ。

滋賀といえば近江八幡、近江八幡といえば和菓子の「たねや」本店があります。

猛暑の中食べたイチゴかき氷の美味しさと反抗期の嗣音に腹を立て怒鳴りつけたかの地を思い出し懐かしさを感じる今日この頃。

お盆の時期で車で行くことには少々気後れしてしまいますが、神様が用意してくださった特別な機会をできるだけ多くの方々と共有できればと願っています。

そういえば前回の滋賀でのTPKF大会の時、咳が止まらず行きの車中でもずっと咳をしていた英児先生が、集会中の癒しの祈りの中で咳が完全に癒されたことを今思い出しました。

今度の大会でも主の素晴らしい御業が行われることを期待します!

 (小山晶子牧師婦人)

2列王記 5:15-27

「ナアマンはその一行の者すべてを連れて神の人のところに引き返して来て、彼の前に立って言った。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。」(5:15)

シリアのナアマン将軍は、預言者エリシャが出て来なかったことに腹を立てました。

彼は言います。

「なんということだ。預言者がじきじきに出て来てあいさつし、患部に手をあて、彼の神の名を呼んでツァラアトを治してくれると思ったのに。」(11節LB)

ところが、神の癒しを体験した今、彼自身がへりくだってエリシャの前に立ち、信仰告白をします。

「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。」

ナアマン将軍は、人ではなく、主なる神が生きておられ、癒されることを体験しました。

人ではなく、神が癒されます。

私たちは人ではなく、今も生きて働いておられる神に期待します。

今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!