「まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」(14:9)
記念として語られると言われたことは、
「純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ」
という話です。
ある人たちは憤慨して言いました。
「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。」
考えてみますと、イエス様に捧げることを「無駄」と決めつけていること自体が、イエス様をそれだけの存在としてしか見ていなかったと考えられます。
イエス様のためにしたことに「無駄はない」とイエス様は言われました。
イエス様のためになされていることを、自分の価値判断で「無駄」だとか批判してはいけないと言われたのです。
「あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(1コリ15:58)
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!