「それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。」(15:20)
キリスト教のロゴは十字架です。
しかし、それは処刑の道具でした。
ローマ人は、権力を保持し、帝国内の秩序を維持するための手段として十字架を用いました。
受刑者たちが苦しみ死んでいく様子をわざと公共の場でさらし、抑止力としたのです。
十字架刑はユダヤ教においては神の呪いを意味しました。
「木にかけられた者は神にのろわれた者だからである」(申命記21:23)
とあるからです。
要するにイエス・キリストは十字架にかかり、のろわれた者となる必要がありました。
聖書は言います。
「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」(ガラテヤ3:13)
だから使徒パウロは言います。
「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが」(1コリ1:24)