「私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。」(42:2)
詩人が求めているのは、今も生きて働いている神の現実です。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように」(1節)
とあるように、鹿が慕い求める水は、古く、よどんだ水ではありません。
新鮮で、流れる川の水のイメージです。
新鮮な神の御言葉を、今日、聖書から受け取る必要があります。
なぜなら、私たちのたましいがあえぎ求める神は、今も、生きて働かれている神だからです。
過去存在していたというだけでなく、今も存在しておられ、後に来られるお方です。
キリストは、昨日も今日も、いつまでも同じです。
私たちは生ける神、キリストを信じています。
イエス・キリストは今生きておられますから、私たちは、生ける神の現実を体験することができます。
私たちのたましいは、生ける神の現実を慕い求めます。