「たましいの贖いの代価は高く永久にあきらめなくてはならない。」(49:8)
「たましいの贖いの代価」は自分の生命に関わる償いのことです。
聖書は、すべての人は罪を犯したと言います。
聖書の言う罪とは、刑法の話ではなく、神に背を向けることです。
人は、最初の人であるアダムとエバが、神に背を向け、神が食べてはならないと命じられた善悪の木の実を食べてから、ずっと、神に背を向け続けています。
誰一人、神に「罪の代価」を支払うことはできません。
自分で支払うこともできないですし、他の人のために支払うこともできません。
たましいを贖うための代金は、あまりに高く、あきらめるしかないと言います。
だから、神はそのひとり子イエス・キリストをこの世界に与えられました。
イエス・キリストは、私たちのために十字架にかかり、死なれることによって、「たましいの贖いの代価」を支払ってくださいました。
それは、「たましいの贖いの代価」を支払うために十分でした。