「神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。」(51:17)
「砕かれた霊」「砕かれた、悔いた心」、すなわち、「打ちのめされた心」が神へのいけにえだと言います。
神からの霊に満たされるためには、人は、自分の霊、心を神にいけにえとして捧げる必要があるということです。
それはまた、打ち砕かれた夢、砕け散った思い、壊れた心を、神へいけにえとして捧げることでもあります。
興味深いことに、メッセージ訳では、こんな訳をしています。
「自分のプライドが打ち砕かれた時、私は神を礼拝することを学んだ。愛を受け入れる準備ができている打ち砕かれた心の人生は、一瞬たりとも神に気づかれないことはない。」
砕かれるような体験は、できれば避けたいものですが、木っ端微塵にされるような体験を通して、私たちは神を礼拝することを学びます。