「神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いに、耳を閉ざさないでください。私をみこころに留め、私に答えてください。私は悲嘆に暮れ、泣き叫んでいます。」(55:1,2)
「切なる願い」と訳された単語(テヒンナー)は、神の「恵み」(ヘーン)を願うことです。
人は神の恵みが必要です。
「私は悲嘆に暮れ、泣き叫んでいます」をメッセージ訳は「私は本当にあなたが必要です!」(I really need you.)と訳しています。
私たちが苦しみ、嘆き、さまようのは、神が必要であることを私たちが認識するためかもしれません。
私たちは、神が必要な存在だからです。
絶望の中にいたダビデは、とにかくどこか遠くに行きたいと願います。
小林和夫師はこのように解説します。
「詩人は・・・町から逃れて、安全な荒野に行くことを願ったが、苦悩からの自由は、場所を変えたり逃げだしたりすることでは解決しない。」
聖書が教える解決策は「祈り」です。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!