「しかし私はあなたに拠り頼みます。」(55:23)
この箇所の「私は」は強調されています。
つまり、何があっても「私自身は」神により頼みますと言っているのです。
何があっても「私自身は」神を信頼しますと。
ギリシア語七十人訳では「それでも私はあなたに希望を置きます、主よ」と訳しています。
何があっても「私自身は」神を信頼し続け、神に希望を抱き続けますというのです。
ダビデが問題を抱えていた相手は13節を見ると「私の同輩、私の友、私の親友」です。
親友から裏切られたというのは、本当に傷つくと思います。
二つ目の「私の友」を、ギリシア語七十人訳では「私のリーダー」と訳しています。
親友も傷つきますが、自分の尊敬するリーダーから裏切られるというのは、それ以上に傷つくと思います。
もちろん人間ですから、欠けは誰にでもあると思います。
いろいろありますが、それでも私自身は神に信頼する、神に希望を抱くという姿勢が大事です。