「実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。」(5:6)
パウロの論理展開は、決して難しいものではありません。
6節でまず、土台的前提が語られます。
イエス・キリストは、不敬虔な者のため、死んでくださいました。
7節では、この前提に立って、論じられます。
たとえ、「値する」と思っていても、普通は、代わりに死ぬことはしません。
そして、8節で、結論が導き出されます。
ですから、イエス・キリストの死というのは、神の普通ではない愛の現れだったということです。
今から約二千年前、イエス・キリストが十字架にかけられ死んだということは歴史的事実です。
それが、「私たちのため」というところに重要なポイントがあります。
「私たちが逃れる道もなく、行き詰まっていた時、キリストはおいでになり、何のとりえもない、私たち罪人のために死んでくださいました。」(LB)