「ときに、ハギテの子アドニヤは、「私が王になる」と言って野心を抱き、戦車、騎兵、それに自分の前に走る者五十人を手に入れた。」(1:5)
「野心を抱き」と訳された単語は、聖書協会共同訳が「思い上がり」と訳しているように、高ぶったという意味です。
サウル王も、ダビデ王も、神が選び、預言者サムエルを遣わして油を注ぎました。
ところがアドニヤは、神の御心を求めたのではなく、自分がふさわしいはずだと軍団長のヨアブと大祭司のエビヤタルと相談してことをはかります。
それには、預言者ナタンやダビデの勇士たちはくみしませんでした。
つまり、アドニヤの行動は、神の主権を侵す行動だったのです。
聖書は明確に言います。
「「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(1ペテロ5:5,6)