「あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。」(2:3)
ダビデは、主の道に歩むならば、
「何をしても、どこにいっても成功する」(聖書協会共同訳)
と言いました。
「成功」の定義は難しいのですが、神の御言葉は私たちが「成功」するためであり、神のみこころは私たちが「成功」することであることを聖書が私たちに告げます。
もっとも、ローマ書7章からこの箇所を理解するならば、律法は私たちの罪を示します。
そして、罪は私たちに死を意識させ、神に立ち返る必要があることを意識させます。
そして、ただ、神の霊によって主の道に生きることができる現実に導きます。
イエス・キリストの十字架の御業なくして、人は主の道に歩むことができないことを謙遜に認めることからはじまります。