「このことは罪となった。」(12:30)
この後、聖書はヤロブアムの罪という言及が繰り返されます。
神はヤロブアムに約束しました。
「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える。」(11:38)
しかし、彼は神の約束を信じることができず、自分で問題を解決しようとします。
ヤロブアムは神を恐れずに、自分で神々を作り、自分で祭司を任命し、自分勝手に考え出した日にいけにえを捧げます。
このように神のやり方ではなく、人々の関心を買うために自分のやり方で作り出した信心を「宗教」と呼びます。
そういう意味では、キリスト教は「宗教」ではなく、生ける神との「関係」です。