1列王記 19:11-21

「しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。」(19:11,12)

風、地震、火といった劇的に神を体験する人がおられます。

しかし多くの場合、そのような刺激的な体験を求めていても、その中に主はおられなかったということがありえます。

エリヤはその劇的な出来事が過ぎた後、「かすかな細い声」を聞いた時、その中に神がおられることを体験しました。

神は今も生きておられ、私たちに語られているのに、それが「かすかな細い声」なので私たちは聞き逃してしまうことがあります。

「かすかな細い声」という言葉は訳すことが難しくて、直訳すると「サウンド・オブ・サイレンス」となります。

沈黙と声は矛盾するので、ユージーン・ピーターソンは声というよりは「息」と言います。

『神の息』は私たちを回復させます。

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