「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」(3:15)
「私の希望」と「キリストを主とし」、自分にとって特別な存在とすることは大事です。
しかし、ペテロは「私の希望」ではなく、「私たちの希望」だと記しました。
「私たちのうちにある希望」を証するためには、この「私たち」の部分を理解する必要があります。
信仰は個人的なものだから、一人で聖書を読み、祈っていればいいという話ではありません。
ぶつかることもあると思いますが、イエス様を中心にして一緒に集まり、一緒に祈り、一緒に賛美し、一緒に聖書を読み、一緒にこの世界に神の御国を現わしていく、それが「私たちのうちにある希望」を証するということです。
今、世界では、歴史上もっとも急速に教会は成長しています。
そのような世界規模の「神の民」の「希望」をもっているのです。