「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(3:9)
キリストの再臨の約束を嘲る者たちがペテロの時代からいました。
ペテロの答えは、神の愛のゆえに忍耐しているということです。
「遅れている」ことは、「ない」こととは違います。
しかし、神は「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」。
それは、ニネベが滅びるのを待っていたヨナに、神が語られたことを思い出させます。
「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」(ヨナ4:10,11)