「しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。」(13:4)
士師記と同じサイクルがここでも繰り返されます。
イスラエルの民は罪を犯し続けます。(2節)
神は、シリアの王、ハザエルがイスラエルを攻めるのを許されます。(3節)
しかし、エホアハズ王が主に願ったので、神は「一人の救う者」を与えます。(5節)
「それにもかかわらず」イスラエルの民は悔い改めず、罪を行い続けます。
エゼキエル書で、神は民にこのように言います。
「わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか─神である主のことば─。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。」(18:23)
神は「エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた」と言います。
神は悪しき者の死さえも喜ばれません。
すべての人が悔い改めて生きることを願われています。