「主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。主の箱の中を見たからである。そのとき主は、その民五万七十人を打たれた。主が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。」(19節)
旧約聖書において、大祭司以外が主の箱の中を見ることは許されていませんでした。罪ある人間が、そのまま神に近づくことは許されることではありませんでした。今も、人は私たちの大祭司であるイエス・キリストを通してでなければ神に近づくことはできません。だからイエス様はおっしゃられました。「だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)人はただ、イエス・キリストによってのみ、父なる神に近づくことができます。ですから私たちはイエス・キリストのお名前によって祈ります。「イエス様、あなたの十字架の御業を感謝します。イエス様のみ名によって大胆に父なる神に近づくことができることを感謝します。」