「彼は、宮の中に造られていた安息日用の覆いのある通路も、外側の王の出入り口も、アッシリアの王のために主の宮から取り除いた。」(16:18)
主の宮は、主のために造られているはずなのに、「アッシリアの王のために主の宮から取り除いた」と言います。
神を恐れることを忘れたアハズ王は、人を恐れるようになります。
教会も、人間中心になってしまうならば、何のために存在しているのか分からなくなってしまいます。
教会がいつも優先すべきは、神であり、神の御言葉である聖書です。
人々が望むことを優先してしまうならば、神の宮とは呼べなくなってしまいます。
アハズ王は、聖書ではなく、ダマスコにある祭壇に似せたものを作らせました。
聖書の御言葉よりも、この世のやり方を取り入れていくならば、それはもう教会とは呼べません。
聖書が信仰と生活の唯一の規範です。